さすが!! ですね。レースを退いているとは言え、競り合いになると実車さながらの駆け引き。一年に一度しかステアリング、じゃなくてコントローラーを手にしないレーシングドライバーのレジェンドの方々がレースの醍醐味を目の前で展開してくれる。これはもう、りっぱなレースイベントでした。
というのが2月21日(土)、神奈川県・横浜市営地下鉄北新横浜駅近くのスロットレーシングカーの総合メーカー「バンプロジェクト」に集まった日本のレース史に燦然と輝く、一度は目に耳にしたこと事があるだろうお歴々。
昨年2014年までは富士GC(グランチャンピオン)ドライバー、関係者による1/24スケール・スロットカーレースだったが、今年から日本のレース界を盛り立て、支えた“名球会”レジェンドドライバー諸氏による「ゴールドスタードライバーKW(ドイツ語なのでカーヴェー)チャレンジ」と銘打ったレースに格上げ。
冒頭の“駆け引き”の話は、70年代のGC(グランドチャンピオン)当時、あるいは60年代の第1回日本グランプリ当時に、ご自身が操縦したマシンのスロットカーで再びレースバトルを繰り広げた際のもの。
ギャラリーを呼ぶような大イベントでも、ここまでのメンバーは集まらないだろう。とにかく、雑誌や歴史書籍で見るような有名な方々が集結した。各自、思い出のレーシングスーツを着用。イベントをバックアップするのは、サスペンションのKWなどを取り扱う橋本コーポレーション 初参加の大久保力さんは「以前から仲間うちに誘われていたけど、”おもちゃ”を走らせるだけだろ、と思っていた。ところが実際に目にすると、そのシャーシのメカニズム、とくに削り出し精度が高いバンプロ製シャーシの精密さ驚き、メカ好きとしては、これならなるほどみんなが前向きのめり込むのがわかった」と。アクセルの感覚を指先に置き換えてのコンントロールはカンタンだが奥が深い。
「この小さなスロットカーの挙動を見ながらコントロールする、という事は反射神経、動体視力の鍛錬になる、ね」。とおっしゃるのは津々見友彦-大大先輩。
個人的見解を付け加えると、「レース」をして、そのものに慣れる事がいい。
スタート直前の緊迫感、予選のひとりタイムアタックの緊張ドキドキ感は実車レースとなんら変わらない。その“レーススタート”を日に何十回と味わえる、レーサーにとってのプラスはそこでの緊張感のほぐし方。緊張感を楽しめるように精神的に成熟することも、場数を踏むうちに自身で感じられる。
左から鈴木亜久里さん、津々見友彦さん、舘信秀さん、長谷見昌弘さんが談笑。まるで、サーキットのパドックでなければお目にかかれない人たちばかり。ここが新横浜のスロットカーコースとは思えない
桂伸一・飯田裕子コンビの記念撮影をする脇でビールを飲んでいるのは、F1ジャーナリストの山口正己さん
中央は長谷見さんで、手前が津々見さん。著名なジャーナリストやカメラマンも見学に訪れていた
左から桑島さん、関谷さん、桂さん。会話を聞いていると世代の差をまったく感じさせない
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ということで、その昔、富士のバンクの金網にへばりついて走り去るマシンとドライブする姿に憧れた方々が目の前で、コントローラー片手に真剣にバトル。各人の一挙一頭速を見ていたい、と思うに違いない集い。取材する側ではなく、観客として見ていたい。と正直、そう思う。
レースは僅差の戦いで、寺田陽次郎選手が高橋晴邦選手を破り初優勝。このお二方、数年前から厳しいバトルの応酬で、遂に寺田選手に軍配が上がったもの。
「ゴールドスタードライバーズ」日本のレース史を支えて来たレジェンドのスロットカーの集いは、一年に一度。この模様はWEB CARTOPを含む、ケーブルTV、ネット、自動車専門誌を含む各媒体で御覧いただきたい。
ちなみに1/24スケールというと、いわゆるクルマのプラモデルのサイズ。ところが、そのサイズに往年の富士GC参加マシンの設定はなく、今回使用したマシンすべてがスロットカー集団MFCの手により製作され、シャーシもサーキットのコースもバンプロジェクトが全てを請け負うカタチになった。
<レポート:桂 伸一>
個人賞の上位は、1位寺田陽次郎さん、2位高橋晴邦さん、3位に関谷正徳さん!
(写真右)関谷正徳さん:1949年年生まれ。マクラーレンF1GT-Rに乗って、日本人初のル・マン優勝者としてその名を轟かせた。ツーリングカーからレースを始め、耐久からGC、フォーミュラなどオールマイティな分野で速さをみせた苦労人ドライバー。83年から参加したトムスから一旦は離れるも、再びトムスの顔として走り、引退後もトムスの監督として活躍中。 (写真中)寺田陽次郎さん:1947年生まれ。ミスター ル・マンと言われるのは、1974年に挑戦を始めたほか、27年連続出場などを果たしているからだ。その功績が買われル・マン24時間レースの主催者であるACOから理事を任命された。日本ではマツダのロータリー遣いとして、ツーリングカーからGC、耐久レースで活躍。 (写真左)高橋晴邦さん:1946年生まれ。船橋で学生時代にレースを始め、大学卒業時にトヨタ自販ワークスとして参画。すぐに頭角を現し排気量に劣るトヨタ1600GTでGT-Rを抑えて走るなど速さを買われ、5リッターの怪物トヨタ7のドライバーに抜擢される。その後GCやル・マンになどにも挑戦するが、トヨタのワークス活動休止とともに引退。その後は監督としても活躍した。
大久保 力さん:1939年生まれ リッキー大久保の名で活躍。ホンダの二輪ワークスライダーから四輪に転向し、スバル360の初代ワークスドライバーに始まり、以降ツーリングカーから草創期のフォーミュラとまさに日本レース界の草分け的存在。逸早くマカオなど海外進出を果たしたドライバー。大久保彦左衛門の末裔だけに、レース界のご意見番でもある
多賀弘明さん:1934年生まれ。クラウンを駆り1963年の第一回日本グランプリでクラス優勝を果たし、その後はトヨタモータースポーツクラブを設立するなどトヨタのレース黎明期のレース活動を支えたレジェンド。レーシングドライバー引退後はレースオーガナイズやJAFのスポーツ委員会にも属するなど日本レース界の重鎮的存在
津々見友彦さん:1941年生まれ。トヨタ2000GTで世界スピード記録を打ち立てたドライバーの一人として有名だがトヨタワークスだけでなく日産、いすゞのファクトリードライバーとしても活躍。その後はプライベーターとしてGCシリーズやツーリングカーレースなどで活躍。引退後は、メカニズムやシャシー性能にも精通した自動車ジャーナリストとして活躍中
戸谷千代三さん:1980年の富士500マイルレースで故佐藤文康と組み優勝を飾るなど、主に長距離レースで70年代後半から90年に掛けて活躍したドライバー。一世を風靡したアパレルブランドであるALFACUBICとrenomaのスポンサーをマシンにまとっていた。印象深いのは、ポルシェ962Cで国内選手権はもとよりル・マンにも挑戦したALFA CUBICカラーだ
桑島正美さん:1950年生まれ。プライベートのZ432でワークスを喰う走りを見せ、黒のマシンとヘルメットカラーから「黒の稲妻」として一躍脚光を浴びる。72年には英国F3選手権に遠征し優勝するなどし、翌年は同F2にステップアップ。75年からは国内に戻るも「最もF1に近いドライバー」だったが、トラブルや不運が重なり79年に惜しまれながら引退
長谷見昌弘さん:1945年生まれ。日産の大森ワークス(二軍)として四輪ドライバーをスタートし、一度はプライベーターとなったが再び日産に戻った時は追浜ワークス(一軍)として復帰。以降、マカオでの日本人初のPP獲得や80年の全日本選手権4冠獲得、92年のデイトナ24時間優勝など数え上げればきりがないほど名実共に「天才ドライバー」の名をほしいままにした
鮒子田 寛さん:1946年生まれ。日本人初めてのル・マン参戦(73年)やF1エントリー(75年DNS)を果たすなど、海外レース進出のパイオニア的存在。ホンダS600でレースを始め、トヨタワークスを経るなどドライバーとしての経歴を持つが、引退後のトムスGB社長やベントレーチームを率いてのル・マン優勝など監督としての手腕は世界的に高い。現在は二代目の童夢社長
舘 信秀さん:1947年生まれ。大学在学中にトヨタパブリカでレースデビュー、71年にトヨタワークスに招聘され翌72年セリカで優勝を果たすなど主にツーリングカーやGCで活躍。74年にはTOMSを設立し独自の活動を展開。87年にトヨタがワークス活動を復活させると同時に「トヨタ・チーム・トムス」の監督して現在に至るまでトヨタはもちろん、日本のモータースポーツを牽引
鈴木亜久里さん:1960年生まれ。カート出身のレーシングドライバーにして、F1チームオーナーまで上り詰めた希有な存在。90年のF1日本GPで日本人初となる3位表彰台をラルース・ランボルギーニで獲得。その後、フットワークやリジェなどに移籍し引退。引退後はチームを起こし、国内選手権を戦う一方で自らの名を冠したチームでF1に参戦するも08年に撤退。現在はフォーミュラEチームも率いる
久保田洋史さん:1949年生まれ。初代スカイラインGT-R神話を担った最速プライベートコンペティター。ワークスを含めGT-Rが挙げた52勝のうち、10勝を一人で稼いでいるという強者。72年10月を最後にワークスGT-Rが撤退したあとも、プライベータートして参戦を続けた孤高の存在で、ワークスからのマシン貸与も認められていたほどのGT-R遣いの名手
柳田春人さん:1950年生まれ。言わずと知れた「Zの柳田」にして「雨の柳田」としても有名。純粋な2シーターレーシングカーGCレースにツーリングカーのZでエントリーし、雨の中GCマシンを置き去りにしたことからその異名を持つ。その後はシルエットレースで活躍。現在はセントラル20というZ関連ショップを経営。ご子息はGT500ドライバーでGT-Rを駆る柳田真孝氏
福士克二さん:富士スピードウェイの中にあった運営団体である富士モータースポーツクラブ(FMC)の代表だったのが、福士さんだ。1971年に富士スピードウェイで始まったFMCが主催するGCレースの事務局として、その名を知らない人はいないほど。富士グラチャンの顔といってもいいほど
画像はこちら 4つのペアによるチーム戦で1位と2位は
チーム戦1位は、宮坂 宏さんと藤原彦雄さんペア
2位は桂伸一さんと飯田裕子さん
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