
これらの事故により協議の結果、予選専用の空力パッケージを禁止し、予選も決勝と同じもので走ることが義務付けられた。さらに、近年行われてきた予選のみのターボ・ブースト・アップも中止された。
「これが根本的な解決策になっているのか?」「宙を舞ったのはシボレーのマシンだけなのに」といった声もある中、予選が始まった。
一週間の練習に続き5月17日に行われた予選もシボレーのエンジン&エアロを使うチーム/ドライバーが席巻。
ポール・ポジションはチップ・ガナッシのスコット・ディクソン。
2位、3位はペンスキーのウィル・パワーとシモン・パジェノー。
4位にまたチップ・ガナッシのトニー・カナーンで、5位にペンスキーのエリオ・カストロネベス。
トップ5をチップ・ガナッシとペンスキーふたつのチームが独占してしまった。
しかも、すべてシボレー・ユーザーで占められ、ホンダ勢の最速は6位のジャスティン・ウィルソンと苦戦した。
佐藤琢磨、無念のアクシデントで決勝13位
好天に恵まれた5月24日、決勝レースがスタートした。
ここでアクシデントが起こる。
A.J.フォイトからエントリーする佐藤琢磨が1周目のターン1出口でルーキーのセイジ・カラムに進路を阻まれて接触。足まわりにダメージを負い、ピットでの修復している間に3周ラップダウンしてしまった。
最終的に琢磨はこの3周を奪い返し、トップと同一ラップでの13位でチェッカーを受けたのだ。
これは、彼のインディー500過去最高位とタイの成績だ。
マシンの仕上がりが良く、今回のレースではホンダのエース格と評されていただけに、もしあの事故さえなかったらと思うと残念だ。
悔しさを滲ませる佐藤琢磨
スタート時のアクシデントで佐藤琢磨は13位でレースを終えた
画像はこちら 予選15位から優勝!モントーヤ15年ぶりの勝利
200周のレースは予想通り、チップ・ガナッシのディクソン、カナーン、そしてペンスキーのパワー、パジェノーといった予選上位4人の間でトップ争いが展開した。
ディクソンとパワーがピットストップ。激しいトップ争いが繰り広げられる 99回の歴史上、じつに2番目の多さとなる37回のリーダー・チェンジがレースの激しさを物語る。
ラスト10周で3回もトップが入れ替わったのは過去最高タイ記録となる。
しかし、主役は前述の4人ではなかった。
ペンスキー4人衆の中でただひとり予選15位と埋もれていたファン・パブロ・モントーヤだったのだ。
モントーヤは7周目のコーション中に追突され、リペアのためのピットストップでレース前半は完全に忘れられた存在だった。
そんな彼がレース終盤には最速のマシンを作り上げ、残り4周でトップに立つと、インディー500初制覇に燃えるチームメイトのパワーを押さえ切ってしまった。しかもチェッカーでの差は僅か0.1046秒。
15年ぶりにインディ500で優勝したモントーヤ 2000年のインディー500初出場で優勝したモントーヤ。
その後、活躍の場をNASCARに移し、昨シーズンにはロジャー・ペンスキーにインディーカーへと呼び戻された。
15年の空白を飛び越え、勝利したというのは過去最長記録だ。
予選を無視するかのような立ち回りで、レース最後のリスタート時には最高のコンディションにマシンを仕上げている。
この老練さの前にパワーやパジェノーはまだまだ青かったということか。
84周ものリード・ラップ(トップを走行した周回)を記録したディクソンもモントーヤが上がって来た時には疲弊しきっていた。
このフォーミュラの申し子は、ここインディアナポリスで勝つための何かをつかんでいるとしか思えない。
チェッカーを受けるモントーヤとパワー。そのさはわずか0.1046秒だった
前から優勝モントーヤ、2位パワー、4位ディクソン、3位キンボール
画像はこちら <レポート&写真:重信直希>