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ル・マンに参戦したNISMO GT-R LMが復活

■16年振りの日産ル・マン参戦記念?R33GT-R LM復活

 今年のル・マン24時間レースは日産が16年振りに参戦する。昨年12月に富士スピードウェイで行われたニスモフェスティバルでは、2015年ル・マン参戦を記念して、R390とR391といった過去のル・マン参戦マシンをデモ走行。場内には歴代ル・マンカーの展示もあった。
その展示車の1台であった「NISMO GT-R LM」の再生作業を行うことを、厚木の日産テクニカルセンターで行われた『日産再生クラブ・キックオフ』イベントで発表された。
今回再生されるのは22号車。福山英朗選手、近藤真彦選手、粕谷俊二選手がドライブしたKeep The Dream Alive号だ。

1995年のル・マン24時間レースに、日産は22号車(クラリオンカラー)と23号車の2台のNISMO GT-R LMで参戦。22号車(福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦組)が総合10位・クラス5位
1995年のル・マン24時間レースに、日産は22号車(クラリオンカラー)と23号車の2台のNISMO GT-R LMで参戦。22号車(福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦組)が総合10位・クラス5位

 といっても、日産社内には過去の車両の修復を業務とする部門が存在するわけではない。この再生作業は、「日産再生クラブ」という日産自動車および関連会社の有志スタッフが勤務時間以外の休日などに行なうのだ。いわゆるボランティアワークだが、モンテカルロララリー仕様に再現された240RSなど、これまで手がけたクルマのなかには、最長2400時間にわたる作業を必要とした個体もあったそうだ。とにかく地道な作業の連続で、スタッフは全て休日返上のボランティアワークとしては本来は辛いはず。しかし、過去の名車を蘇らせたいという気持ちで集まった人たちだから、これまでの作業風景の写真や映像を見る限りを楽しんでいるという感じだ。

キックオフ式典にはR33GT-Rの開発主管を務めた渡邉衡三さんが登場。R33市販車両開発やル・マン参戦の経緯にといった当時のことを解説。NISMO GT-R LMのル・マン参戦は、R32のファンに対してR33の良さを伝えたい、という思いのひとつであったという。子細なスペックのみならず開発者の思いも直に伝承する機会は、参加するメンバーにとっても極めて貴重なものであろう
キックオフ式典にはR33GT-Rの開発主管を務めた渡邉衡三さん(中央左のYシャツの男性)が登場。R33市販車両開発やル・マン参戦の経緯にといった当時のことを解説。NISMO GT-R LMのル・マン参戦は、R32のファンに対してR33の良さを伝えたい、という思いのひとつであったという。子細なスペックのみならず開発者の思いも直に伝承する機会は、参加するメンバーにとっても極めて貴重なものであろう

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