45年想い続けたスパのレース参戦という男のロマンをマツダがバックアップ (1/2ページ)

45年想い続けたスパのレース参戦という男のロマンをマツダがバックアップ

■マツダが熱き思いを受け入れる

 ロータリーエンジンを搭載したコスモ・スポーツが登場してすぐに、マツダは欧州のツーリングカー耐久レースに参戦。ロータリーエンジンのポテンシャルの高さといかに耐久性に優れているのかをレースを通じて証明しようとしたのだ。
そして1970年にベルギーで行なわれたスパ24時間レース(スパ・フランコルシャン24時間レース)には、ファミリア・プレスト・ロータリー・クーペ(R100)4台を持ち込んで挑んだ。
アルピナBMW、アルファロメオという欧州の強豪を相手に、レース開始12時間目にトップに立つと21 時間過ぎまでトップを堅持。しかし優勝を目前にしながらも、R100の3台は無念にも次々と戦線を離脱、残った1台が息も絶え絶えに5位でゴールした。

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R100

  

ファクトリーカラーのR100型プレスト・ロータリークーペ
1970年のスパでは10時間以上トップを走り続けたがリタイア

 1968年初のロータリーエンジン搭載車となったコスモ・スポーツを2台用意して、ドイツ・ニュルブルクリンクで行なわれた「マラソン・デ・ラ・ルート84時間(!)耐久レースにマツダは初挑戦し、見事総合4位に食い込んでみせた。以降も欧州の耐久レースをメインに参戦を続けた。

 そして日本人ドライバーの武智/片山組の日本人を31号車として送り込み、32号車には片倉/ベイカー組の日英コンビ、33号車はエネバー/ハイン組の英国人コンビ、そして急遽4台目として地元ベルギー人コンビとなるデプレス/ベルティンシャン組を34号車としてR100を揃えた。挑むのは1970年ヨーロッパ・ツーリング・カー・チャレンジ(ETCC)の第7戦として開催されるスパ・フランコルシャン24時間レースだ。

まさにハンマーで「叩き出し」たような前後のオーバーフェンダーが何とも当時の雰囲気を醸し出している。30年間にわたりマシンに手を入れて仕上げてきただけあり、各部も入念に作り上げられている。エンジンはオリジナルの10Aをブリッジポートにし、パワーは控えめの160馬力ほどと耐久性を重視したチューニング。そのおかげでパワーバンドは広く5000~8500回転ほどだが、許容としてはマキシムで10000回転も可能だと言う
まさにハンマーで「叩き出し」たような前後のオーバーフェンダーが何とも当時の雰囲気を醸し出している。30年間にわたりマシンに手を入れて仕上げてきただけあり、各部も入念に作り上げられている。エンジンはオリジナルの10Aをブリッジポートにし、パワーは控えめの160馬力ほどと耐久性を重視したチューニング。そのおかげでパワーバンドは広く5000~8500回転ほどだが、許容としてはマキシムで10000回転も可能だと言う

 レース開始後の12時間目には、なんと予選6番手からスタートした日本人組の武智/片山組のR100がトップを快走。他の3台も3−4−8位と好位置をキープ。しかし、残り5時間30分を過ぎた頃に地元組の34号車がコースアウトでリタイア、負の連鎖はトップ走行中の武智/片山組のエンジンにも襲いかかる。ゴールまで残り2時間40分というところで、エンジンにトラブルが生じてリタイアに追い込まれる。

 さらに32号車もエンジンブローで走行不能となり、コース上にはたった1台のR100が留まるのみ。あちこちにトラブルが出て満身創痍状態だった33号車だが、必至にゴールまでたどり着く。
結局、トップでチェッカーを受けたのはアルピナチューンのBMW2800CS、続く2位から4位までを独占したのはアルファ2000GTAmだった。この競合に続き33号車は5位でチェッカーを受けたのだ。

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