クルマ好きなら知っておきたい自動車文化遺産「プリンス自動車工業本社」

クルマ好きなら知っておきたい自動車文化遺産「プリンス自動車工業本社」

■スカイラインなどを生み出した、孤高の職人メーカーの夢の跡

 WEB CARTOPが勝手に選ぶ「自動車文化遺産」。
第3弾はプリンス自動車工業の本社跡だ。

平成10年までは日産自動車荻窪事業所があった。その後、再開発されたが、今でもディーラーはある
平成10年までは日産自動車荻窪事業所があった。その後、再開発されたが、今でもディーラーはある

 ご存じのようにプリンスといえば、スカイラインやグロリアなどの名車を生み出しつつ、レースにおいてはR380などのプロトタイプを積極的に開発して参戦。強豪ポルシェに後塵を浴びせるなどの活躍を果たすなど、小規模メーカーながら高いポテンシャルをもって、サーキットを暴れ回った野武士的な存在だった。

 また、その陣頭指揮を執った桜井真一郎氏自身が、自動車文化遺産的な存在でもある。

中島飛行機時代の東京工場の風景。かなり大きな規模だったことがわかる。プリンス時代はかなり貧相な社屋で、そこで桜井真一郎氏たちは寝泊まりしながら、正月もなく、開発に明け暮れていた
中島飛行機時代の東京工場の風景。かなり大きな規模だったことがわかる。プリンス時代はかなり貧相な社屋で、そこで桜井真一郎氏たちは寝泊まりしながら、正月もなく、開発に明け暮れていた

 そのプリンスが本社を置いたのが東京都杉並区の荻窪だ。
現在はオシャレな街として、住みたいランキングの上位に位置するが、戦前から戦後しばらくにかけては、東京郊外のなにもないところ。だが、近衛文麿や吉田茂が住むなど、名士に愛された街ではあった。

 1966年に日産自動車に吸収合併されてしまい、すでにプリンスは存在しないが、桜井真一郎一派は、その技術力の高さから日産のなかでも荻窪系と呼ばれ、別格の存在でもあったという。

 そもそも、この地はスバルの前身である中島飛行機がエンジン製造を専門に行なう東京工場を建設した場所であり、自社生産の隼(一式戦闘機)だけでなく、他社設計のゼロ戦や月光(双発機)にも積まれた「栄エンジン」。さらに世界水準の性能を発揮した「誉エンジン」などがここから生まれたというのも特筆すべきだろう。

 終戦を迎えて、財閥解体で富士精密工業東京工場となり、プリンスの前身として本流である電気自動車で有名なたま自動車と合併したことで、荻窪にプリンス自動車工業の本社が置かれることになる。

 さて、その跡地だが、プリンスが日産に吸収されたあとは、荻窪事業所として主にロケット設計や生産などを行なっていた(これもルーツは中島飛行機が研究していたもの)が、その事業をIHIに譲渡してからは、更地になって、今はマンションが建てられていた(空き地の部分もある)。

 しかし、プリンス自動車跡地の青梅街道に面した部分には日産ディーラーが存在する。その看板を見ると販売会社は日産プリンス東京。
プリンスの本社跡にプリンス系ディーラーというだけでも感涙ものだが、その傍らにはふたつの石碑がある。
ひとつが中島飛行機発動機の発祥の碑。裏を見ると富士精機工業/プリンス自動車工業/日産自動車の有志と刻まれている。
そしてもうひとつが昭和30年(1955年)に、富士精機工業がペンシルロケットの打ち上げに成功したことを記念したもの。ペンシルという名のとおり、小さなロケットなのだが、これが日本初のロケット打ち上げとなる。

 ここから、R380などのレーシングカーがサーキットへと出撃していったことを想像すると熱くなるものがある。戦前から戦後にかけて、日本の先端を行っていたことへの矜持・プライドが強く感じられ、技術立国日本のルーツを垣間見ることができる。まさに自動車文化遺産どころか、ホントに技術遺産に指定してもいい地であろう。

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