クルマ好きなら知っておきたい自動車文化遺産「日産村山工場」

クルマ好きなら知っておきたい自動車文化遺産「日産村山工場」

■GTーR発祥の地

 お待たせしました。WEBCARTOPが勝手に選ぶ“自動車文化遺産”の第五弾は「日産自動車 村山工場跡」。GTR

 東京都武蔵村山市榎1-1にあった、日産自動車村山工場は、1962年にプリンス自動車工業の乗用車生産工場として操業を開始した。
最初に生産されたのは初代グロリアで、以後、歴代スカイライン(R34型まで)をはじめ、1966年のプリンス自動車工業と日産自動車の合併後は、先の2車種に加え、ローレル、マーチ、キューブなどの日産の主力車種の生産が、この地で行われていた。

 しかし、カルロス・ゴーン社長が推し進める『日産リバイバル・プラン』の柱、生産の効率化の一環として、1999年10月に村山工場の閉鎖を発表。

 2001年3月に車両生産工場としての使命を終え、一部残されていたメッキ等車両部品の製造部門も、2004年に完全閉鎖。42年間に累計約968万台のクルマを生産して、工場としての幕を閉じた……。

  

村山工場の正面入口だった場所。右手のガラス張りの建物はショールームだった。現在は某宗教法人が所有
村山工場の正面入口だった場所。右手のガラス張りの建物はショールームだった。現在は某宗教法人が所有

 この村山工場の敷地面積は139万㎡もあり、川沿いにバンク付のテストコースがあったことでも知られている。都心に近いこともあり、往時には開発中の新車の写真を手に入れようと潜入を試みるパパラッチとの激しい攻防もあったとか、なかったとか!

 そんな伝説の村山工場も、閉鎖後はいったん更地化され、現在は、跡地の4分の3は某宗教法人が購入。残りのスペースには、ショッピングモールの「イオンモールむさし村山」や「武蔵村山病院」、日産系列の中古車販売店「カーミナル東京」、そして「東京日産新車のひろば村山店」などが建っている。

左の碑の下にあるマンホールのフタにプリンスマークが付いている
左の碑の下にあるマンホールのフタにプリンスマークが付いている

 日本の自動車史に残る、中川良一氏やスカイラインの父、櫻井 眞一郎氏などの、名エンジニアが開発した名車を組み立てた工場の夢の跡といえるのは、跡地の一角に残る「プリンスの丘公園」ぐらいで、寂しい限り。

 この「プリンスの丘公園」には、「スカイラインGT-R (PGC10) 発祥の地」と記された記念碑があり、公園の入り口には「日産自動車~村山工場跡地記念植樹」も……。

 マニアックなところでは、記念碑のそばのマンホールに、プリンス自動車のロゴマーク入りのマンホールの蓋も残っている。

 駐車場もなく、土を盛ったような小山があるだけで、これといった遊具もない公園だが、ここは紛れもない自動車文化遺産のひとつ。避難場所にもなっている。

 戦前の立川飛行機、中島飛行機の流れを汲んで、グロリアやニッサンプリンスロイヤル(皇室御料車)、そしてスカイラインに、レーシングカーのR380など送り出した場所なのだから、この夏の「聖地巡礼」コースのひとつに加えてみてはどうだろうか?

  

画像ギャラリー