今だから言える、土屋圭市がもっとも愛したグループAの秘密を大暴露 (1/2ページ)

富士SWから出るなと言われるほど無敵の強さを発揮してシート獲得

 レーシングドライバーとしての現役当時、土屋圭市さんは様々なレースに挑戦してきた。その中で、もっとも面白かったカテゴリーだというグループAレースについて語ってもらった。土屋Gr.A-02

「やっぱりグループA(JTC:全日本ツーリングカー選手権/1985〜1993年)だね。色々乗ったけど、アレより面白いレースはなかった。まずマシンだ。本当に市販車をベースにしている。サスの取付位置も変えちゃいけないから、究極のチューニングカーともいえるね。だからオーナーは自分のクルマをチューニングすれば、ほぼグループAのマシンを作れる。夢が見られるよね」。グループAに参戦するきっかけはフレッシュマンレースでの活躍だったという。土屋Gr.A-04

「1984年に富士スピードウェイのAE86フレッシュマンレースに参戦していた。TRDとヨコハマが、そこでダントツのチャンピオンを獲得したら翌年、グループAの86に乗せてやると言ってくれたので頑張ったね。たしか全7戦のシリーズで、開幕から6連勝したんだ。最終戦は出ていない。7戦走るつもりで資金も用意していたんだけど、富士スピードウェイから『最終戦は出るな。お前が走ると他のヤツがやる気なくなって出場しなくなるから』と言われてね。それで1985年は約束どおり86でグループAに参戦した」。

「ワークスなんてつまらない!」と尖っていた現役時代

 そんな土屋さんだが、今の温厚なイメージとは違い、当時は少々尖っていたという。 「TRDを1年で辞めてプライベートチームのシビックで参戦した。その後はコスモBMW、エンドレスのフォードシエラ、それから32GT-Rだね。下積みが長いでしょ。オレはゴマを摺るのがヘタでさ。大きなワークスチームなんかは扱いづらかったんだと思う。酒は飲まない、ゴルフはしない、クルマにしか興味がなかったからね。スポンサーとご飯なんて一緒に行かないってこともあったかな。ご飯食べてゴルフいって手に入るシートなんかいらない! 実力で乗るんだって尖ってたんだ。ワークスのTRDを辞めたのも、がんじがらめが気に入らなかったことが理由。スピンすれば怒られるし。『コッチは目一杯で攻めてんだ』って思いがあったしね。まぁ若さゆえかな」