[自動車博物館探訪]F1とル・マンを制したフランスの名門マトラ:レース編① (1/3ページ)

[自動車博物館探訪]F1とル・マンを制したフランスの名門マトラ:レース編①

かつての強豪MATRAのマニア泣かせのコレクション

 かつて小規模ながらフランスの自動車メーカーとして活動していたマトラをご存知だろうか。レースに関していうなら、スポーツカーレースのル・マン24時間とスポーツカーレースでのメーカー選手権、そしてF1GPを制したコンストラクターとして隆盛を極めたメーカーである。さらにマニアックに言えば、マトラのV12気筒エンジンの高回転域での咆哮は世界最高と言われたほどのエキゾーストノートを奏で、その音からファンになった人も多い。

 しかしそのマトラは紆余曲折を経て、現在はマトラ・オトモビル・エンジニアリングSASの名で、イタリアのカロッツェリアであるピニンファリナの子会社として自動車の先行研究開発業務を生業としている。ちなみにマトラ(MATRA)とはMacanique Aviation Tractionの頭文字を繋げてネーミングされている。
レースの世界で活躍したマトラだけに、企業博物館とはいうもののグランドフロアにはF1マシンをはじめとする大小様々なフォーミュラカー、ル・マン24時間で活躍したマシンたちが所狭しと並べられている。むしろマトラ製品の市販車は片隅に追いやられた感があり、レーシングカー博物館、と呼ぶべき内容となっている。

ただし、階段を下りた地下フロアにはマトラがこれまでにルノーを始めとするメーカー各社から委託されたコンセプトカーが並べられ、やはり企業博物館であることをアピールしているかのようだった。
マトラ自動車博物館を訪ねたのは2012年の6月16日。この日は土曜日で、午後4時にはル・マン24時間レースがスタートする、そんなタイミングでの取材訪問だった。朝一番で別の博物館を取材し、30kmほどのミニドライブでロモランタン-ランテネの街に到着。小雨に煙る街並みを見ながら昼食をとっているうちに、雨も止んで青空も見えるようになり、意気揚々とマトラ自動車博物館に着いたのは正午を回った頃だった、と取材メモにある。IMG_2852マトラの歴史を振り返ると、第二次大戦の直前に2人の若者シャルル・ドゥーチェとルネ・ボネが興したDBにたどり着く。戦後DBは、シトロエンのパワーユニットを使ってマシンを開発、ル・マ24時間レースに挑戦を続けながら、その一方できわめて少量生産ながらクルマ造りを続けてきた。しかし設計思想の対立から、2人は袂を分かつことになる。そしてパナール(フランスにあった自動車メーカーでのちにプジョーに吸収される)をベースに選んだドゥーチェに対してボネは、オトモビル・ルネ・ボネを設立し、ルノー・ベースで歩むことを選択。1963年には市販車初のミッドシップ・レイアウトを採用したジェットをデビューさせている。その翌年、経営危機に陥っていたオトモビル・ルネ・ボネに手を差し伸べたのがマトラ。それ自体は自転車から航空機、そして兵器からケミカルまで扱うコングロマリットだったが、その中の1社がオトモビル・ルネ・ボネにFRPの材料を供給していたことが縁だった。オトモビル・ルネ・ボネはマトラの自動車部門として再出発を果たすことになった。前回のポルシェ博物館と同様、今回のマトラ自動車博物館も2回に分けて展示車両/エンジンを紹介して行こう。
まず第1回目の今回は、マトラ以外のル・マン挑戦車も少なくなかったレーシングマシンとエンジンを次のページから紹介をしよう。

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