創世記の葉巻型F1GPマシン(1950−1965)[冬休みモータースポーツ企画]

創世記の葉巻型F1GPマシン(1950−1965)[冬休みモータースポーツ企画]

産声をあげたピュアフォーミュラマシン

 2015年12月26日(土)から、2016年1月3日まで、冬休みの特集として「モータースポーツ企画」をお届けします。F1からWRCラリー車まで、また年代も問うことなく幅広くお伝えしたい。
初回となる今回は、創世記のF1マシンたちです。

 F1GPが始まったのは1950年。その3年前にモータースポーツを統括するFIAが制定され、F1GPマシンの技術規則も制定されている。当初は排気量が4.5リッター以下(非過給。過給は1.5リッター以下)で始まり、54~60年は2.5リッター以下(非過給。過給は750cc以下)となり、さらに61~65年は1.5リッター以下(非過給。過給は禁止)と目まぐるしく変わっていき、52年はF2マシンで戦われるありさまだった。当初はイタリア勢が優位を保っていたが、ミッドシップ・マウントを採用し優れたハンドリングを武器にイギリスのクーパーが戴冠。以後は英伊対決の展開に。

★まずはアルファ・ロメオがシリーズを2連覇★
1951 ALFA-Romeo 159 Alfetta

 1950年からFIAによって始められた世界選手権=F1GPで、記念すべき初年度のチャンピオンに輝いたアルファ・ロメオが51年シーズンのために用意。J-M.ファンジオが開幕戦で勝ってそのまま逃げ切り2連覇を決めた栄光のマシンが“アルフェッタ”の愛称を持つティーポ159。スーパーチャージャー付き1500ccの直列8気筒から命名された158の後継モデルとしてエンジン出力も425馬力以上にまで引き上げられたが燃費の悪化により思わぬ苦戦。序盤の連勝が効き逃げ切りで連覇を決めたがマシンの旧態化は否定できず、この年限りで撤退に。写真はアルファ・ロメオ自動車歴史博物館の収蔵車両でモデナのエンツォ・フェラーリ博物館での企画展で撮影。

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ph110101_1951_ALFA-Romeo 159 Alfetta_IMG_4849ph110102_1951_ALFA-Romeo 159 Alfetta_IMG_4854★F2で戦われた2シーズンをフェラーリが圧勝★
1952 Ferrari Monoplace F2 500/625

 1951年のイギリスGPでアルファ・ロメオを破って初優勝「母親を殺してしまった…」と名セリフを残したエンツォ・フェラーリが52年シーズンに向けて用意したマシンがF2 500。気筒当たり500ccの直4を搭載したF2規定に則ったマシンだ。台数の減少が危惧され、F2マシンで戦われることになった52年のF1GPで8戦7勝(残る1勝はインディ500マイルのクズマ)し翌53年も9戦8勝(やはり残る1勝はインディのカーティス-クラフト)とライバルを圧倒、52年に6勝、53年に5勝を挙げたA.アスカリが2年連続でチャンピオンに輝いている。フランスはミュルーズにある国立自動車博物館、通称“シュルンプ・コレクション”の収蔵車を撮影した。ph110201_1952_Ferrari Monoplace F2 500/625_IMG_5013

★フレンチブルーの活躍も見逃せない★
1952 Gordini_Monoplace_GP Type 16

 アルファ・ロメオとフェラーリからメルセデス・ベンツが王座を奪い、さらにミッドシップを採用したクーパーへと王座は移り変わるのだが、もちろん当時のF1GPを戦っていたのがイタリアとドイツ、そしてイギリス勢だけだったわけではない。フレンチブルーも眩しいゴルディーニも1950年代序盤に活躍したチームの一つ。当初はシムカとジョイントして戦ってきたが、52年からは単独で参戦した。新たに投入されたエンジンは非力だったが操縦性の優位さを武器に健闘。ワークスのR.マンゾンがシリーズ6位(フェラーリ勢以外では2位)に着けている。フランスはリヨンの北にある最も旧い博物館として知られるロシュタイエ城博物館の収蔵車両を撮影した。ph110301_1952_Gordini Monoplace Type 16 n゚32_IMG_3945

★イタリアが国を挙げて応援した★
1954 Lancia Formula 1 Tipo D 50

 これはクルマのハードウェアではなく、F1GPに参戦が継続できた、とても魅力的なエピソードで知られる1台だ。1954年、F1GP参戦を目指してランチャはGPマシンのタイプD50を開発。ヴィットリオ・ヤーノが会はつぃうを手掛け素晴らしいクルマが出来上がったものの、完成が遅れて最終戦でデビューしたものの、翌55年シーズンには会社の経営状況が悪化して参戦が危ぶまれた。それを聞いたフィアットがマシンとスタッフ全員を買い上げてフェラーリに譲渡。D50はフェラーリD50と名を変えて55年シーズン中盤から出走、56年シーズンに王座を奪回した。イタリア国立自動車博物館の収蔵車をエンツォ・フェラーリ博物館での企画展で撮影。ph110401_1954_Lancia Formula 1 Tipo D 50_IMG_4596ph110402_1954_Lancia Formula 1 Tipo D 50_IMG_4597

★クーパーがミッドシップを初めて採用★
1960 Cooper・Climax Formule 1

 それまでエンジンはフロントに搭載され後輪を駆動するのが一般的だった。エンジンをドライバーの背後に移せば重量配分が改善され、ハンドリングも良くなるはず。開発者なら誰でも思いつくが、それを具現化したのがジョン・クーパー。ミニ・クーパーの生みの親として知られるエンジニアだ。F3やF2を手始めに1957年からF1GPに本格参戦を開始。コベントリー・クライマックス・エンジンをミッドシップに搭載したクーパー・クライマックスは58年にS.モスが初優勝を飾ると、翌59年にはJ.ブラバムがチャンピオンに輝き、以後ミッドシップが本流となっていく。写真は、ロシュタイエ城博物館の収蔵車両で60年仕様のクーパー・クライマックス。ph110501_1960_Cooper・Climax Formule 1_IMG_3946

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