グループ4時代までのラリーカー・海外編(-1982年)part.3

後輪駆動主流から駆動レイアウトを模索する時代に

 グループ2とグループ4が主流だった1982年までのWRCで活躍したラリーカーを紹介してきたが、3回目となる今回は、前回紹介した後輪駆動が圧倒的な主流派だった時代から、前輪駆動やミッドシップ・後輪駆動などが登場、ラリーフィールドにおける最適な駆動レイアウトは果たして?という問いに対して様々な解答例が登場した時代へと移っていった。ベースモデルとなるロードゴーイングカーでも、コンパクトなモデルでは前輪駆動化が進み、特にダンテ・ジアコーサ式の横置きレイアウトが広まっていったこととも無縁ではなかったろう。そしてそのことが、ミッドシップ・後輪駆動へのコンバートすることに対するハードルを引き下げたのだろうか?

★ジアコーザ式をアバルトがチューニング★
1975 Autobianchi A 112 Abarth
コンパクトカーはもちろん、今や「横置きエンジンによる前輪駆動」はミディアムクラスでも定番となっているが、その基本レイアウトを普及させたのはフィアットで技術担当重役まで務めたエンジニアのダンテ・ジアコーサだった。先ずはパイロットモデルとして傘下のアウトビアンキからプリムラを登場させた後、本家のフィアットから128が登場している。さらに本筋となるよりコンパクトな127に先んじて、やはりアウトビアンキから登場したサブコンパクトがA112で、これをアバルトがチューニングしてラリーカーに仕立て直していた。本国のイタリアに加えてフランスでも、これを使ったワンメイクラリーが盛んになったが、フィアットではさらにグループ1、2の両仕様を製作。WRCにもチャレンジしている。写真はイタリア北部、ロマーノ・デッツェリーノにあるルイジ・ボンファンティ-フィマール自動車博物館の企画展で撮影。WEB CARTOP1975_Autobianchi A 112 Abarth_IMG_4288

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★2ボックススタイルながらコンベンショナルなFR★
1978-81 Talbot Sunbeam Lotus
クライスラーの世界戦略車として1977年にデビューしたタルボ・サンビーム。すでにトレンドとなっていた2ボックスのハッチバックだが、シャシーはコンベンショナルな後輪駆動となっていた。当時、ラリーシーンで大活躍していたエスコートの対抗馬とすべくベースの1.6リッターOHVエンジンに替え、ロータス製の2.2リッターツインカム・エンジンを搭載したグループ4仕様を開発、WRCに投入したマシンがタルボ・サンビーム・ロータス。ワークス部隊のタルボ・スポールが開発を続けていたが、その間にタルボ自体がクライスラーからプジョーに売却され、以後はプジョーのラリー部門として再出発していた。1980年にはワークスチームに有望なルーキーのヘンリ・トイボネンが加入、同年のRACラリーで見事初優勝を飾っている。白地にブルーのストライプが走るワークスカラーのクルマとブルー・ボディのクルマも、ルイジ・ボンファンティ-フィマール自動車博物館の企画展で撮影。WEB CARTOP1978-81_Talbot Sunbeam Lotus_IMG_4294WEB CARTOP1978-81_Talbot Sunbeam Lotus_IMG_4281★GMの世界戦略車がラリーマシンに変身★
1979_Opel Kadett GT/E Coupe
1973年に登場した第4世代のオペル・カデットはGMの世界戦略車構想に則って開発されたもので、日本国内ではいすゞ・ジェミニ(初代モデル)としても知られている。先代にあったラリー・カデットの後継となるホットモデルがGT/Eクーペで、同様にWRCにも参戦することになった。75年シーズンにグループ2仕様が登場。76年シーズン終盤にはツインカム16バルブヘッドを採用したグループ4仕様も登場したが、いずれもトラブル続出でワークスは苦戦した。その一方で、フロントエンジンの後輪駆動。そして手頃なサイズ(とおそらくは手頃な価格)といったコンベンショナルなパッケージで多くのプライベーターが使用。WRCにおけるポイントでも、これにワークスが助けられる格好となった。写真のクルマは88~89年にWRC2連覇を果たしたミキ・ビアシオンがデビュー戦で使用したマシンそのもの。ルイジ・ボンファンティ-フィマール自動車博物館の企画展で撮影。WEB CARTOP_1979_Opel Kadett GT/E Coupe_IMG_4231WEB CARTOP_1979_Opel Kadett GT/E Coupe_IMG_4238★前輪駆動をミッドシップにコンバート★
1980 Renault R5 Turbo
ルノー5(サンク)は1972年登場したサブコンパクトカー。ルノー4(キャトル)の後継で、リアにあったエンジンや駆動系をそのままフロントに移設させたもので、いわばフロントミッドシップと呼ばれるパッケージだった。そして今度はそのルノー5をベースに、エンジンや駆動系を、180度向きを変えてボディ後部に移設、通常のミッドシップ・レイアウトとしたモデルがルノー5ターボ。これはグループ4ラリーカーのホモロゲーションモデルで、名前からも分かるように1.4リッター直4エンジンはターボでチューニングされ160馬力を発生していた。81年のシーズン開幕戦、モンテカルロではジャン・ラニョッティのドライブで初優勝を飾り、82年のツール・ド・コルスでもラニョッティが優勝。これはフランス車としては9年ぶりの優勝だった。写真の個体は83年シーズンのワークスカーでラニョッティが乗ったモンテ仕様。フランス東部、ミュルーズにある国立自動車博物館で撮影。WEB CARTOP1983_Renault 5 Turbo“Tour de Corse”_IMG_4854

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