自動車社会に多大な影響を与えた「80年代のトヨタ車」6選 (1/2ページ)

世界の高級車メーカーに影響を与えたクルマも

「各部に外国車の影響を受けることが多く、独自性は薄い」と言われがちな日本車であるが、60年を超える日本車の歴史を振り返ると、「外国車に影響を与えた」、「強いインパクトがあった」、「世界初の技術を採用した」、「爆発に売れた」といったエポックメイキング(画期的な)なクルマも思い出すとたくさんある。そのなかには「壮大な失敗に終わったという意味で印象的だった」というクルマも少なからずあるが、そんなエポックメイキングなクルマをメーカーごと、年代ごとに挙げてみたい。

1)初代ソアラ(1981年)

 排ガス規制やオイルショックによる1970年代という厳しい時代を過ごし、復調の兆しが見え始めた1981年に登場した初代ソアラは当時最強の2.8リッター直列6気筒DOHCエンジンやデジタルメーター、気品ある内外装などを持つ「(当時の)クルマに対する夢や憧れが詰まったクルマ」で、上級グレードは300万円級だったが、ヒット作となりトヨタのイメージリーダーという位置付けを確立した。また初代ソアラのコンセプトを延長した2代目ソアラはバブル景気という追い風も幸いし、初代ソアラ以上の大ヒット作となった。日本の名車

2)7代目クラウン(1983年)

 クラウンというクルマは一般的には保守的なイメージが強いかもしれないが、じつは技術面を筆頭に革新的な試みを行うことが多いクルマである。そのなかで7代目クラウンはマイナーチェンジで日本初となるスーパーチャージャー付エンジンを搭載。また日本自動車史上に残るキャッチコピーである「いつかはクラウン」を使ったのもこのモデルである。

3)初代MR2(1983年)

 当時のカローラのパワートレインを前席後ろに移した、日本初のミッドシップスポーツカー。モデルによる違いはあるものの、ミッドシップらしいシャープなハンドリングが最大の魅力で、トヨタ車らしくというか2人乗りのミッドシップながら一応の実用性を備えていたことも特徴だった。

 またトヨタはミッドシップスポーツカーを2代目MR2(初期モデルはかなり問題のあるクルマだったが)、MR-Sと初代MR2から24年間に渡って作り続けており、トヨタの「やると決めたことはしつこくやり続けてモノにする」という良きDNAを象徴する1台ともいえる。


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