中国メーカー名物の「パクリカー」が消えたワケ (2/2ページ)

メーカー首脳陣のグローバル意識と庶民の経済力が上がった

 それではなぜ中国でコピー車が目立っていたかというと、かつて10年ほど前ぐらいまでは、中国系メーカーのトップは改革開放経済前のバリバリの共産主義時代に教育を受けた世代ばかりであった。そのため海外渡航経験がないひとも多く、英語など外国語を話せるひともほとんどいなかった。もともと一般人民が自動車を所有するというシチュエーション下で育ってきたわけでもない。

 そのような世代に現場の開発者が世界のトレンドを採り入れた、独自の新型車を開発したとしても、なかなか理解が得られず、たとえば「BMWそっくりのクルマをつくれ」などと指示を受けていたというのである。最終的に量産を承認するトップ層と同じく、当時(10年ほど前)新車を購入できる層は限られた富裕層であった。

 富裕層は中国メーカー車など完全に“アウト・オブ眼中”で、こぞって欧米車や日本車を購入していた。しかも、性能などメーカーの設計思想など、クルマ本来の魅力というよりは、“先進国でよく売れているクルマ”というような、ブランドありきで所有している傾向が強く、“偽物のブランドバッグ”が出回るように、コピー車が溢れていたのである。もちろんコピーすれば、開発費は安く抑えることもできたということもあっただろう。

 いまやEVを豊富にラインナップするなど、世界的にも有名となったBYD汽車もかつては、カローラのコピー車をラインアップしていた。カローラならば“トヨタエンブレム”のついている場所にBYDマークがついているのだが、そのスペースはトヨタエンブレムとまったく同じで、BYDのコピー車を買った後にトヨタエンブレムに付け替えるユーザーも多かったそうだ。

 時は変わり、中国メーカーのトップにも、改革開放経済下で教育を受け、アメリカでMBAを取得し、英語など外国語にも堪能な若手世代が目立つようになった。それと同時に中国の自動車市場もだいぶ庶民レベルまでが新車を購入できるようになり、市場の成長とともに消費者の自動車に対する興味も多様化し、オリジナルモデルの開発及びラインアップが急速に進んできたのである。

 同時に欧米完成車メーカーやサプライヤー、デザイン事務所、エンジニアリング会社に一定期間勤務した若い世代の中国人が中国にもどり、中国メーカーで腕を振るうことも多くなった。欧米メーカーの第一線で活躍したデザイナーやエンジニアを積極的にヘッドハンティングもしている。

 筆者が中国に出かけはじめたころには、沿岸部の大都市では中国メーカー車などはほとんど見かけなかった。品質への不信のほか、“中国車に乗るのは恥”といった空気も流れていた。欧米車や日本車にそっくりなコピー車をラインアップしなければなかなか売れないという切実な問題もあったはずだ。

 しかしいまの中国主要メーカーは、見た目品質や最新トレンドを採り入れるスピードの速さなどは日系メーカーをすでに超えているようにも見える。つまり一部の零細な中国メーカーを除けば、“コピー車は不要”という状況になってきているともいえる(それでもパラパラ出てくることはあるが……)。むしろ、日系メーカーが“パクる”というのではないが、中国メーカーの動きのなかから学ぶべき点も出てきているように感じている。上から目線で中国車を語る時代はすでに過ぎ去ろうとしている。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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2019年式トヨタ・カローラ セダン S
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渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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