バカ売れ名車から泣かず飛ばずの迷車まで! 平成3年生まれのニッポンのクルマ7選 (2/2ページ)

ゼロ戦にインスパイアされて誕生したクルマも!

3)三菱・2代目パジェロ

 パジェロは当時でいうRVへの注目や好景気、パリダカールラリーでの活躍により、初代モデルがモデルサイクル後半になるにしたがって販売台数も尻上がりに増えたという珍しいモデルであった。

 2代目モデルは開発期間が長く取れたこともあり盤石なクロカンSUVとして登場し、300万円はする高額車が飛ぶように売れるという孤高の存在となった。

4)マツダ・アンフィニRX-7

 RX-7としては3代目となるアンフィニRX-7は、ターゲットを当時のスカイラインでいえば2リッターターボからGT-Rに変え、日本最速車クラスに移行。速さを得るための手法は大パワーではなく、初期モデルでは255馬力の2ローターシーケンシャルツインターボを搭載するFRのため、発進加速や直線はそれほどでないが軽量化などによりコーナーで稼ぐというもので、これは戦時中の日本のゼロ戦に刺激されたものであった。

 軽量化により若干の弱さがあるなどの副作用もあり、スペースの狭さ以上に収納が少ないという実用性の乏しさもあったが、日本車離れしたスタイルも追い風となり注目を集め、改良を重ねながら2002年まで約11年間も生産された。

5)三菱・4代目ミラージュ&マツダ・ユーノスプレッソ

 4代目ミラージュは1.5リッタークラスに属する当時の大衆車、プレッソはカローラレビンやスプリンタートレノのような比較的手軽なクーペで、クルマ自体にエポックな点はない。では何がエポックだったのかというと、4代目ミラージュは1.6リッター、プレッソは1.8リッターという世界最小のV6エンジンを市販化したことである。

 しかし確かに2台のV6エンジンは静かでスムースではあったものの、一気筒あたりの排気量が小さく、エンジンの重量は重い。そのため低速からトルクがあって乗りやすく高級感があるわけでもなければ、速いわけでもなく、当然ながら高価。いまとなっては「いったい何だったのだろう?」と感じるエンジンであった。


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