280馬力までいかに到達したか? 昭和の国産車パワー競争の歴史と名車11台 (1/2ページ)

国産初のスーパーカーは今の実用車並の150馬力

 令和になって約半月。まさに「昭和はむかしになりにけり」といったところだが、昭和の自動車史で面白いのは、何といってもエンジンの高出力化競争。

 70年代のオイルショックや排ガス規制を挟みながら、1989年=平成元年に280馬力(自主規制)時代に到達するまで、100馬力よりは150馬力、150馬力よりは200馬力と、新車が出て、最高出力が更新されるたびに、クルマ好きは狂喜乱舞することができた。そんな昭和のハイパワー化への歴史を振り返ってみよう。

■トヨタ2000GT/150馬力(1967年)

 国産車のハイパワーエンジンのひとつの基準になったのは、1967年に登場したトヨタ2000GTのエンジン=3M。ヤマハが開発・生産した2リッターDOHC、直列6気筒は、ソレックス(ミクニ)の3連キャブ付きで150馬力。最高速は220㎞/hと、当時の2リッターエンジンとしては断トツの高性能を誇っていた。

国産車パワー競争

 この3Mエンジン以降、日本の高性能エンジンは、DOHCの直列6気筒が最高! という流れができる。

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■日産スカイラインGT-R(初代C10)/160馬力(1969年)

 1969年には、R380のレース用エンジン、GR8をデチューンした、S20エンジンを搭載した初代スカイラインGT-Rが誕生。2リッター直6DOHCで、160馬力というスペックは圧巻。

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 S20はDOHCはDOHCでも4バルブ(トヨタ2000GTは2バルブ)だったので、最強といえば最強だった(反面 超高回転型エンジンでトルクは18.0kg-mしかなかった)。

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■トヨタ・セリカ レビン トレノ/115馬力(1970年)

 2リッターではないが、初代セリカ(TA22)に積まれた、1.6リッターの名機、2T-Gも115馬力とかなりパワフル。

国産車パワー競争 1972年には855㎏の車重に、その2T-Gを積んだ、初代レビン(TE27)がデビュー。パワーウエイトレシにものをいわせて、2リッタークラスをカモる俊足ぶりを発揮した。

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■マツダ・サバンナGT(RX3)/125馬力(1973年)

 70年代を代表するハイパワー車といえば、マツダのロータリー軍団。とくに12Aロータリーを積んだ、サバンナGTは、スカイラインGT-Rの50連勝を阻止し、その後、ツーリングカーレースで4年間無敗、通算100勝以上の大記録を打ち立てている。

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 それも125馬力の12Aと885㎏の軽量ボディのおかげ。初代RX-7=SA22も、この12Aロータリーだった。

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■日産フェアレディZ(S130)/145馬力(1978年)

 70年代後半に入って、国産スポーツも少しずつ元気を取り戻す。

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 1978年には、L型エンジンでもっとも排気量が大きい、2.8リッターのL28エンジンを搭載したS130が登場。145馬力時代を迎える。L型エンジンは、パワーはS20に及ばないが、排気量がある分トルクが大きいというのがアドバンテージだった。

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 240ZのL24もトルクは21.0kg-m。S130のL28は、23.0kg-mで加速力はピカイチだった。

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藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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