ホンダF1撤退は「レースをやる意味」の変化の現れ! フォーミュラEすらも「技術開発」的要素は薄い

「レース=走る実験室」の価値は失われつつある

 F1は、本来レーシングドライバーの腕を競う競技だ。これに対し、ル・マン24時間レースなど、プロトタイプスポーツカーによる耐久レースは、自動車メーカーの技術を競う競技である。それは、永年変わりがない。

 ところが、F1もプロトタイプカーレースも、「レースは走る実験室」との思いから、自動車メーカーの技術を競う場と勘違いされるようになった。それでもこれまでは、F1もプロトタイプスポーツカーもエンジンで走るレーシングカーを使っていたので、エンジンだけでの参加となっても「走る実験室」として、自動車メーカーがF1に参戦する意味はあった。

 1980年代までのF1は、主に単一のエンジンで競われてきたが、ルノーがターボエンジンで参戦して以降、ホンダを含め自動車メーカーが過給制御などエンジンを総合的に開発、そして管理することで勝負が左右される時代となった。同時にターボエンジンに最適な燃料も開発され、特殊なガソリンでF1が戦われるようになり、燃料開発にも一役買ったといえるだろう。

 それでも、技術開発に膨大な予算がかかるようになり、自動車メーカーといえども負担が大きくなって、自然吸気エンジンに統一される動きとなった。のちに、電動化をF1にも導入し、KERS(運動エネルギー回生システム)が採用され、現在はERS(エネルギー回生システム)となっているが、それでも、動力の主体はエンジンだ。

 しかし、市場は電動化の強化を求めており、その行く末は電気自動車(EV)だ。となると、いくらエネルギー回生をF1で競っても、それが将来のクルマには役立たないので、「走る実験室」という価値は失われる。またF1とは別に、フォーミュラEが2014年から開催されるようになり、多くの自動車メーカーが参戦したり参戦への意思を表明したりしている。

 EVの鍵を握るのは、リチウムイオンバッテリーの充放電制御である。これがうまくいかないと、一充電走行距離が短くなったり、急速充電で十分に充電しきれなかったりする。レースの取り組みを「走る実験室」と考えるなら、フォーミュラEに取り組むことの方が自動車メーカーとして将来性がある。

 それでも、レースのように競技のなかで速さを競い、勝負を決める場が、果たしてEVの将来を切り拓くかといえば、そうではない。もちろん、上記のバッテリー制御を極める意味はあっても、もはやEVは速さを競うことが目的のクルマではないからだ。

 充電も、急速充電はリチウムイオンバッテリーの劣化を促す弊害がある。200Vの普通充電でゆっくり充電し、移動も適切な速度の範囲で、そこに自動運転を組み込みながら、渋滞のない滑らかな移動によって移動時間を短縮するのが未来図である。

 ホンダがF1を撤退することは、理にかなったことだ。

 一方で、F1の価値がなくなるわけではない。F1は、単一または数種の同性能のエンジンによって、レーシングドライバーの腕によって勝敗を決める競技という原点へ戻るべきなのである。そしてそこに協力した自動車メーカーは、技術の高さではなく、モータースポーツというクルマ文化に永く貢献することで称賛されるべきだ。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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