単なる「いちスポーツカー」の枠を越えた「86&BRZ」の偉大すぎる功績とは

クルマ好きが求めるクルマを作り上げたことで受け入れられた

 スポーツカーは人気がなくなったから、もう売れない(もう作らない)。2010年代に入り、いわゆるスポーツカーと呼ばれるモデルが次々と姿を消していった。

 おもな理由は、市場でのトレンドでSUVシフトが鮮明になったからだ。時代を振り返ってみると、50年代から90年代頃まで、一般的にスポーツカーと呼ばれるクルマは、セダンに対する2ドアクーペという商品立てが常識だった。乗用車が庶民の間で普及し始めたころ、家族みんなで乗れて、十分な荷物が積めるという条件から4ドアセダンが普段使いの主流モデルとなった。

 一方で、デザイン性や高い走行性能を売り物にしたスポーツカーが2ドアクーペという棲み分けができていった。スポーツカーに対してユーザーは、端的に「カッコいい」と思った。だから、自動車メーカー各社は、より「カッコいい」スポーツカーを開発し、結果的にスポーツカーは自動車メーカーそれぞれにとって「シンボル」のような存在になっていた。

 スポーツカーを買うことは、若者にとっての夢であり、憧れとなった。

 ところが、時代が進むにつれ、ユーザーがクルマに求める要件が変わっていく。国や地域によってそうした要件には若干の違いがあり、日本では4ドアセダンの座はミニバンに取って代わられ、原動付自転車など小型バイクの需要については、軽自動車が一気に普及していった。

 また、「カッコいい」スポーツカーは世界的に富裕層向け商品に転じる傾向が強まり、超高性能な高額商品になっていき、いわゆるスーパーカーとスポーツカーの垣根がなくなってしまった。

 こうした市場環境のなかで、86とBRZは企画された。考え方としては、まさにAE86が新車として販売されていた80年代のスポーツカーの再現である。

 86/BRZの開発が進んでいた2000年代後半から2010年代始め、トヨタはBRICsと呼ばれる経済新興国での事業拡大を踏まえた新しい世界戦略を推し進めていた。その真っ最中に、「もっとよいクルマを作ろう」「クルマの楽しむことを改めて考え直そう」という、至極自然な発想をもとにして86とBRZは生まれた。

 見方を変えると、電動車を含めたさまざまなモデルラインアップを世界それぞれの国や地域で製造・販売する「懐の深さ」があるトヨタが「原点回帰」に目覚めた、といえるだろう。こうした企業としての志は、手軽な新車価格で購入して自分自身で整備やカスタマイズを古くから楽しんできた人たち、またそうしたスポーツカーの潜在的な魅力に共感する若い世代の心にしっかり届いたのだ思う。

 これぞ、86とBRZの功績である。2代目となっても、トヨタとスバルの86とBRZに対する志にブレはないはずだ。


桃田健史 MOMOTA KENJI

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