古参ファンには微妙なモデル! 「プリンス」から始まったスカイラインの難しい立ち位置 (1/2ページ)

2代目スカイラインの途中に日産はプリンスと合併

 スカイラインというと、歴史的に見ても日産を代表するモデルといえるが、その立ち位置は長い間微妙なものであった。スカイラインの初代モデルは1957年に当時の富士精密工業(のちのプリンス自動車工業)より発売されている。1963年に2代目が登場しており、この2代目の途中となる1966年にプリンス自動車は日産自動車と合併している。

 合併後には、1968年に3代目(ハコスカ)、1972年に4代目(ケンメリ)、1977年に5代目(ジャパン)、1981年に6代目(ニューマン)、1985年に7代目(7th)、1989年に8代目、1993年に9代目、1998年に10代目が登場しているが、多くの歴代モデルで愛称がつけられるほどの人気モデルとなっている。

 ただ前述したように、スカイラインの日産内における立ち位置は微妙にも見えた。あくまで私見であるが、メーカーである日産のスカイラインに対する姿勢には、日産だけでなく、日本車全体で見ても高い人気を誇るモデルながら、冷たいものを感じる部分もあった(合併したプリンス自動車のクルマという認識が強かったためとも聞いている)。

 購入者目線でみると、もちろんクルマ自体のパフォーマンスなどに惚れて購入するひとが大半なのだろうが、日本人は“判官びいき”なひとも多いので、“ブランドは日産だが、プリンス車の血筋を感じる”など、ことの真偽は別としてもその微妙な立ち位置に、かえってエキゾチックなものを感じて乗るひともいたようで、そのような部分もあって、長い間不変の人気モデルとしての地位を維持してきたといっても過言ではないだろう。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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乗りバス(路線バスに乗って小旅行すること)
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渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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