「グループBのホモロゲモデルとして開発」はウソ! 伝説中の伝説「フェラーリ288GTO」の真実 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■250GTOと区別するために288GTOと表記されるが正式車名は「GTO」

■288GTOは288GTOエボルチオーネとなってさらにはF40へと進化した

■288GTOの始まりはただの新型ミッドシップスポーツカーだった

のちにF40へと進化を果たすこととなる288GTO

 フェラーリ288GTOは、自分にとってもとても思い出深いモデルだ。そのワールドプレミアが行われた1984年のジュネーブ・ショーは、東京モーターショーを除けば初めて実際に足を運んだメジャー・モーターショーだったし(当時は東京モーターショーもそのような扱いだった。ちなみに現在に至るまで「国際」というタイトルは掲げられていないが、世界の目や自動車メーカーのプライオリティが、ここ数年中国のショーへと向いてしまっているのは、ちょっと悲しい)、そこでメジャー・モーターショーではこのようなこと、つまりこうやってニューモデルというものは誕生の瞬間を迎えるのだということを目の当たりにしたことは今も新鮮な記憶だ。

 モーターショーのプレスデイでは、いわゆるプレスキットと呼ばれる資料が配布されることもここで知った。時は1980年代の半ばであるから、それは印刷物とポジフィルム、もしくは紙焼き写真がワンセットとなっているのが普通だった。288GTOの場合もそれは変わらず、その冒頭には正式な車名が、1960年代の250GTOとの混同を避けるために288GTOと表記されるが、実際にはシンプルに「GTO」であることと、それが連続する12か月間に200台以上の生産を必要とするグループBのホモロゲーション車両であることが明記されていた。

 しかし、なぜフェラーリはこの1984年に至ってグループBのホモロゲーションモデルなどをデビューさせたのか。すでにグループBが主役となるモータースポーツは、もっとも有名なWRC(世界ラリー選手権)でも4WD車が全盛を誇る時代に突入していたし、さらに1986年にはこのWRCも高速化による度重なる事故を理由に、グループBによる時代は終焉を迎えてしまうのである。実際1984年の段階で、いやその開発段階でグループBの廃止は、フェラーリにとってすでに暗黙の了解だったはずだ。

 モータースポーツという目的を失った288GTOは、それからフェラーリのF1GP以外のモータースポーツ活動をサポートするミケロットを中心に、エボリューションモデルの288GTOエボルチオーネへと進化し、さらにそれをベースに1992年の生産終了までに1311台のF40へと進化を果たしたのは、フェラーリのファンには周知のとおり。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
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