ことごとく排ガス規制で潰されてきた高性能車! それでもめげない開発者たちの戦いとは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■これまでに何度も排ガス規制によって多くの高性能車が生産終了に追い込まれた

■その後、規制をクリアする技術の開発によって高性能車は復活を果たすことになる

■カーボンニュートラルも内燃機関で実現できる技術が開発されることを期待したい

排ガス規制で日本車からDOHCエンジンが消えた

 現在、二酸化炭素の排出による地球の温暖化が、世界規模で大きなテーマとなっているが、自動車の排出ガスに含まれる有害成分、それによる大気汚染が本格的に懸念され始めたのは1970年のことだった。米上院議員マスキーが提唱した「マスキー法」で、この法案を受けた日本では、昭和50年、同51年、同53年の各規制値が取り決められ、自動車の排出ガスに含まれる炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物の量を大きく減らすことが目的の規制だった。

 当時、世界一厳しいと言われた昭和53年規制は、自動車メーカーの総力を傾注しても達成は困難と見られ、段階的に規制値を厳しくしていった昭和50年、同51年の規制値を前にして、有害成分の排出が多いモデルは順次生産中止に追い込まれていた。その代表格が、高性能の代名詞でもあったDOHCエンジン搭載車(必然的にウェーバー、ソレックスの双胴型キャプレター装着車)であるスカイラインGT-RやベレットGT-R、ギャランGTO-MRなどだった。

 こうしたDOHCエンジン搭載車は、三元触媒の登場、電子制御燃料噴射装置の普及によって、1980年代初頭には息を吹き返すことに成功し、その後に続く高性能化競争の主役として市場で支持されていくことになる。それにしても、自国で決めた規制値とはいえ、日本メーカーが昭和53年規制をクリアしたことは奇跡に近く、ハードルの高い規制値を達成したことで、その後の日本の排出ガス規制は止まってしまうことになる。


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