「三菱コルトが復活」に昭和オヤジの期待も最高潮! その前に60年に及ぶ名車の歴史をおさらい

この記事をまとめると

■欧州でコルトの車名が復活するとの発表があった

■元々は日本で使われていた車名で、その歴史は60年にも及ぶ

■現在はミラージュが今までのコルトの位置を担っている

日本のコンパクトカー市場を支えた名車が欧州で電撃復活

 2023年秋に欧州市場にて「コルト」を復活させることがアナウンスされた。日本市場への投入は現段階では未定となっているが、日本ではコンパクトカーのミラージュが登場から9年を経過しているだけに、新型車が投入される可能性は低くないと言えるだろう。そこで今回は、改めて「コルト」の歴史を振り返って、新型モデルの登場に備えたいと思う。

 じつはコルトの名前の歴史は古く、初代モデルは1962年に登場したコルト600まで遡る。このモデルは車名の通り600ccのエンジンをリヤに搭載しており、ボディタイプは2ドアセダン。当時のこのクラスの車両としては唯一の5人乗りとなっていた。

 コルト600がデビューした翌年の1963年には、打って変わってコンサバティブな4ドアセダンボディを持ったコルト1000が登場。このモデルが三菱初の量産4ドアセダンとなった。

 1965年にはさらに大排気量な1500ccエンジンを搭載したコルト1500も追加され、こちらは基本的なスタイルこそコルト1000と共通ながら、ホイールベースの延長や4灯ヘッドライトの採用などで差別化が図られていた。

 そして、1965年秋にはコルト600の実質的な後継車種としてコルト800が登場。こちらはコルト600と同じく2ドアとなっていたが、ノッチバックセダンだった先代とは異なり、流麗なファストバックスタイルとなっていたことが最大の特徴となっていた。

 なお、翌年には1000ccエンジンを搭載したモデルも追加されたが、コルト1000との差別化を図るために、ファストバックの頭文字を取ったと思わしきFを付け、コルト1000Fと名付けられている。

 その後、コルトの名前は1969年に登場した新世代の4ドアセダンであるコルト・ギャランへと受け継がれたが、1973年に2代目へとフルモデルチェンジをしたタイミングでコルトの名前が外れ、単にギャランとなっていた。

 そのあとはミラージュの輸出名として使われていたコルトの名前だが、2002年にミラージュの後継車として登場したコンパクトカーにコルトの名前が復活。ダイムラークライスラーと共同開発したことや、さまざまな仕様から自分好みの1台を作り上げることができる「カスタマーフリーチョイス」などが話題となった。

 また、このコルトの派生車種としてリヤセクションを延長し、ステーションワゴンタイプとしたコルトプラスや、1.5リッターターボエンジンを搭載したホットモデル、RALLIART Version-Rが存在したほか、海外ではクーペカブリオレのコルトCZCという変わり種も登場していた。

 しかし、結局、新生コルトはこの1台限りでお役御免となり、2012年からはミラージュの名前が復活し、現在に至っている。


小鮒康一 KOBUNA KOICHI

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日産リーフ(2代目)/ユーノス ロードスター/マツダ・ロードスター(2代目) /ホンダS660/ホンダ・オデッセイ(初代)/ 日産パルサー(初代)
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