インフィニティM45に戻すために光岡ガリューXを買った謎のカーライフ! モータージャーナリストの愛車インプレ【鵜飼 誠編】 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ライター陣が愛車をインプレッションする連載

■今回は鵜飼 誠さんの愛車を紹介

■なんと光岡ガリューXをインフィニティM45に戻したのだという

光岡ガリューXを買ってインフィニティM45に戻す!

 新車の時からすっと欲しかった、2003-2004年型のインフィニティM45。もともと実家がスカイラインやグロリアを乗り継ぐ“プリンス党”で、いつかはハコスカやタテグロ(3代目グロリア)に乗りたい、などと思っていたのだが、タテグロが(スタイリング的には)アメリカ車のコピーであるような気がして、気が付いたらアメリカ車ひと筋みたいな約30年を過ごしてきた。

 その間もいろいろな自動車雑誌媒体に携わり、新旧日本車、欧州車、アメリカ車とありがたいことにありとあらゆるクルマのステアリングを握る機会を得たが、家族のこともあってクルマにウツツを抜かしてる状況でもなくなり、「そうだ、維持の簡単な日本車に乗ろう」と思い立った。

 本来ならば、燃費のいいハイブリッド車やEV車を選ぶのがスジとは思うが、日本車に乗るならアレしかない、ということでM45の売り物の捜索開始。もちろん日本に輸入されているなんてつゆにも思わなかったので、アメリカのカートレーダーなどを片っ端から。しかし、これが本当にない。

 というか低走行車(10万マイル以下)など皆無で、キロに直せばウン十万キロがアベレージ。アメリカはストップ&ゴーが少なくて、距離が多くてもクルマが傷んでないみたいな話はよく聞くが、あれもやや都市伝説。基本的に日本の車検のように、壊れていない部分を新品に変えたりはしないので、乗りっぱなしプラスアルファの場合も少なくない。それと体格の違いもあるかもしれないが、距離が多いととにかくインテリアが荒れていることが多い。テカテカのレザーステアリングと、乗り降りの際にダメージを受けたと思われるモモのサポート部分が破れて中のウレタンが露出しているお約束の光景。

 ではダメもとで、と日本の中古車サイトで「インフィニティM45」と打ち込んでみると、3年ほど前にはなんと2件がヒット。でも、どちらも僕が思い描いていたM45の姿ではなく、映画『THE CAR』に出てきそうなパルテノン神殿のようなグリルを備えたMITSUOKAのガリューそのものである。そして、つぶさに物件のページをチェックすると、「あれ! これ左ハンドルじゃん!」となり、色々調べてわずか10台だけMITSUOKAが日本仕様のY34だけでなく、北米仕様のM45をベースにガリューXを製造販売していたことを知った。

 そして何よりもその走行距離が刺さった。どちらも走行距離は少なく、片や約5800マイル(約9,300キロ)! もうこれは買うしかない。たぶん「どうにかなる」と思い、アメリカ車時代から付き合いのある、でもZ31フェアレディのスペシャリスト、『アバンテオートサービス』を通して購入することにした。ここから先は本当にMITSUOKAファンの方には申し訳ないのだが、このガリューXをいかにして(安く)M45の姿に戻すか、を命題に東奔西走することになった。

 まずは、ガリュー化によって失われたM45の部品たちが新品で買えるかどうかを試算してみる。前後バンパー、ヘッドライト、フロントグリル、ボンネット、サイドマーカー、エンブレム他エトセトラで、しめて80万円オーバー。これをアメリカから輸入して、送料やら関税を払ったら一体いくらになるんだ、という焦燥。

 ところがである。幸いにして、昔から日本車を北米仕様改造する、いわゆるUSDMというカスタム・トレンドがあり、Y34を北米仕様のM45に改造した個体は結構存在する。しかも、もうタネ車のY34自体が老朽化していることもあって、フルUS仕様であっても二束三文である。ということで、ドナーカーとして30万円ほどで、M45に化けたY34グロリアを購入して、そこから足りない部品はすべて拝借することにした。かくして『アバンテオートサービス』に作業を依頼して半年あまり、摩訶不思議なニコイチ、ほぼファクトリーストックの2003年型インフィニティM45の実走9300kmが手元にやってきたのである。

 と、ここまでが納車までの顛末で、十分ウェブで読むのにはシンドイ文字量で恐縮だが、まだまだ本題の“なぜにしてそんなに2003-2004年型のインフィニティM45が欲しかったのか”という理由については述べていないわけで、続けていこうと思う。


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