イソは珍車イセッタだけじゃない! 7.4リッターエンジンまで積んじゃった「イソ・グリフォ」というイセッタとは真逆の怪物 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■イセッタを生み出したイソが作ったスーパースポーツがイソ・グリフォだ

■デザインはジウジアーロでエンジニアはビザリーニという豪華ツートップが担当

■シボレー製5.4リッターV8を搭載しカタログに記載された最高速度は300km/hだった

イセッタで一躍有名になったイソが作るスーパースポーツ

 イタリア人が情熱的、というのはクルマ好きな方なら比喩でもイメージでもないこと先刻ご承知でしょう。なにしろ、レースやりたいがためにクルマメーカーやり始めたエンツォや、フェラーリをぶっちぎりたくてクルマ作り始めたフェルッチオなんて熱い男たちは枚挙にいとまがないわけですから。

 今回ご紹介するイソ・グリフォの生みの親、レンツォ・リヴォルタもまた同類です。材木商から身を立て、イソ(ISO)という工業メーカーを買収したリヴォルタは、冷蔵庫やラジエータといった製品でもって成功をおさめ、イタリア人らしく乗り物が大好きだったためスクーターや3輪オートの製造にも手を出すことに。その後、世界中で流行りだしていたマイクロカー「イソ・イセッタ」を製造し始めたのですが、1000台ほど作ったところで製造権をBMWに売却(ご存じのとおりBMWイセッタは16万台も作られる大ヒットに)。

 レンツォは「やっぱ、これじゃない」てな気分だったのでしょう。1962年、自らの名を冠したグラントゥーリズモ「イソ・リヴォルタ」の製造に着手したのでした。

 この時、デザインはベルトーネに在籍していたジウジアーロで、エンジニアは元フェラーリかつ、元ランボルギーニのジオット・ビザリーニというツートップ。そして、シボレー製5.4リッターのV8(レンツォは当時マセラティ3500GTやジャガーなどを複数所有しており、マセラティ、ひいてはイタリア製エンジンの低い信頼性に辟易していたそうです)を調達し、そこそこの売り上げをマークしたのです。

 このころ、レンツォの息子であるピエロ・リヴォルタが大学を卒業してイソに入社。早速、父親に「もっと華やかでインパクトあるスポーツカー」を提案。そこで生まれたのがグリフォで、ロードバージョンがA3/L(Lは諸説ありますがラグジュアリーのLと言われています)。

 A3/C(CはCorsa=レースの意味)と名付けられたレーシングカーは、あえてベルトーネからリリースされたのでした。あえて、としたのはレンツォ本人の意向としてグリフォでレース参戦を考えていなかったから。

 むしろ「レース上等!」なエンジニアだったビザリーニの情熱でもって2パターンが無理やり作られたようです。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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