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【名車揃い!】惜しまれつつも消えた「いすゞ」の乗用車その②

【名車揃い!】惜しまれつつも消えた「いすゞ」の乗用車その②

2002年までSUVモデルは生産されていた

 惜しまれつつ乗用車生産から撤退してしまったいすゞ自動車。前回(【名車揃い!】惜しまれつつも消えた「いすゞ」の乗用車その①)はそんないすゞの名車をご紹介したが、今回はSUVも含めて紹介したいと思う。1993年に乗用車の生産から撤退したいすゞだが、SUVの生産は継続しており、2002年まで生産が続けられていたのだ。

ビッグホーン

 SUVブームが間近まで迫った1981年に登場したのがビッグホーンだ。デビュー当時はロデオ・ビッグホーンという名前であり、名前の通りピックアップトラックのロデオのシャシーを利用して誕生したモデルだった。翌’82年には三菱からパジェロが登場しクロカンブームが到来するも、パワーステアリングが長らく装備されず、乗用車の登録モデルの追加がパジェロの後塵を拝すなど、商業的に波に乗ることができなかった。

 ’91年には2代目へとフルモデルチェンジを果たし、当時SUVを持たなかったスバルやホンダへOEM供給がなされるなど、一定の評価を受けたものの、2002年のSUV生産撤退に伴い生産終了と相成った。

 なお、ホンダは北米市場での高級ブランド「アキュラ」でもビッグホーンをOEM販売していた。

117クーペ

 ピアッツァと同じくジウジアーロがスタイリングを手掛けたいすゞ初のGTカー。ベースはセダンのフローリアンだが、その上にセミハンドメイドで形作られた美しいクーペボディを纏っていた。’70年10月には国産車初となる電子制御インジェクションを搭載したグレードを追加し、技術面でも他社をリード。しかし、セミハンドメイドでは生産効率が上がらず、3年間での総生産台数は2500台弱だった。そこで、GMと提携したいすゞは、機械によるプレス成型に対応するマイナーチェンジを’73年に実施している。その後117クーペは’77年にヘッドライトを角型にするフェイスリフトを行い、’81年まで生産が続けられた。なお、高級パーソナルクーペながらディーゼルエンジンを搭載するグレードがあったことは、商用車に強いいすゞらしいエピソードといえるかもしれない。

ビークロス

 1993年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「ヴィークロス」に対する反響が大きかったため実際に市販化されたのがビークロス。モーターショーに出品されたものはジェミニベースであったが、市販車はビッグホーンのショートボディがベースとなっている。独創的なデザインに話題が集まりがちではあるが、市販車としては異例のアルミ製モノチューブ別体タンク式ショックアブソーバーを装備し、レカロシートを標準装備するなど、走りの面でも力を入れて作られていたのである。なお、特徴的な外観には他メーカーのパーツが流用されており、ヘッドライトはオートザム・キャロル、フロントウインカーはダイハツ・オプティ、ハイマウントストップランプはマツダ・ファミリアアスティナのものが使用されている。

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