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最近「影が薄め」だったとはいえ消えるのは寂しい! 生産終了の「三菱ミラージュ」を振り返ったら超「熱いクルマ」だった (1/2ページ)

最近「影が薄め」だったとはいえ消えるのは寂しい! 生産終了の「三菱ミラージュ」を振り返ったら超「熱いクルマ」だった

この記事をまとめると

■現行型のミラージュが販売を終え、その車名が一旦消えることとなった

■ワンメイクレースが開催されていたこともあり、スポーツカーとしての素質もあった

■セダンや完全新規設計のモデル、世界最小のV6エンジンを搭載したモデルなどがあった

三菱を支えた名コンパクトカーを振り返る

 先日、日本向けの車両の生産が終了し、終売となることが分かった三菱のコンパクトカーであるミラージュ。1978年に登場した初代から、中断されていた時期も含めて44年にも渡る歴史を振り返ってみよう。

 1978年3月に登場した初代ミラージュは、三菱初の2ボックスの前輪駆動車であり、副変速機付きのトランスミッションや四輪独立懸架など、当時の最新鋭の技術を盛り込んだコンパクトカーとして華々しくデビューした。

 当初は3ドアハッチバックのみのラインアップだったが、半年後には5ドアを追加し、1982年2月のマイナーチェンジ時には4ドアセダンも追加したほか、3ドアハッチバックモデルには1.4リッターターボモデルを設定し、高性能ハッチバック車の先陣を切ったのだった。

 1983年10月に2代目になったミラージュは、キープコンセプトでありながらリヤフェンダー形状を台形とするなど、どことなくフランス車を感じさせるデザインが特徴。また、エリマキトカゲと起用したCMが話題となり、エリマキトカゲブームを作り上げたことを記憶している人も多いのではないだろうか。

 ボディラインアップは初代と同じく3/5ドアハッチバックと4ドアセダンとなっていたが、1985年2月にはステーションワゴンとバンを追加し、翌年2月のマイナーチェンジではエンジンを新設計のサイクロンエンジンに換装している。

 また、1985年からはワンメイクレースの「ミラージュカップ」がスタートし、1998年に終了するまで、モータースポーツの入門カテゴリーとしても人気を博したのだった。

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