
この記事をまとめると
■第二次世界大戦前にアルファロメオが行っていたビジネスをフェラーリが参考にした
■フェラーリのあとを追う形でランボルギーニが自動車産業に参入し二大巨頭となった
■1990年以降は新興メーカーが産声を上げスーパーカーの世界は次のステージに突入した
スーパーカーは誰のために生まれた?
スーパーカービジネスの歴史を語るには、まずはそのスーパーカーというプロダクトが何であるのかを定義しなければならないのではないか。
大排気量のマルチシリンダーエンジン、誰の目をも魅了する美しく、そしてまた刺激的なボディデザイン、もちろん最高速や加速性能に象徴される運動性能も重要な要素であるし、そのモデルが誕生するにあたってのバックストーリーがあれば、なおさらスーパーカーとしての「格」は上がるだろう。
そのように考えると、スーパーカーを生産するというビジネスを最初に考えたのは、やはり1947年創業のフェラーリということになるのだろうか。
いや、それはあまりにも安直な答えである。
フェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリは、じつはあるメーカーのビジネスに大きなヒントを得ていたのだ。それは彼の古巣ともいえるアルファロメオが、第二次世界大戦前に行っていた高価な高性能車の販売方法。コンペティツィオーネ(レーシングカー)をベースとしたストラダーレ(ロードカー)を作るという、きわめてシンプルな手法にほかならなかった。
実際、創業当時のフェラーリが販売していたのは、レースで使用したV型12気筒エンジンを核とするパワーユニットを搭載するシャシーのみだった。それにカスタマーが好むスポーティなデザインのボディを製作し、組み合わせるのはカロッツェリアと呼ばれる工房の仕事であり、レースを始めとするモータースポーツで得た技術的なノウハウと、美しいボディが組み合わされた、創業初期のフェラーリのストラダーレは、再びフェラーリに潤沢なレース資金を提供する役割を担ったのだった。
ちなみにフェラーリに同一のモデルを量産するという意思が生まれたのは、1950年代に250GTシリーズを誕生させてからになるが、それでもなおコンペティツィオーネとストラダーレとの間には、明確な線引きは行われなかった。