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世間の社長への批判は正しい? 車種ラインアップに原因? 日産が経営難に陥った本当の理由とは

世間の社長への批判は正しい? 車種ラインアップに原因? 日産が経営難に陥った本当の理由とは

この記事をまとめると

■日産の前CEOとなる内田氏はどのような経営を行ってきたのか

■内田氏が社長に就任したのはコロナ禍前の2019年12月だった

■北米でのHEV投入時期の見誤りと中国市場での乱売が日産を窮地へと追い込んだ

日産がここまでの窮地に追い込まれた理由

 日産がいま、大きな転換期をむかえている。マザー工場である神奈川県追浜工場、さらに「NV」を生産する日産車体湘南工場が相次いで完成車生産を終了することが明らかになった。そのほか、グローバルで生産・販売体制を、また新車開発や購買を含めて大幅な事業の見直しを進めているところだ。こうした日産大変革を指揮するのが、4月にCEO(最高経営責任者)に就任したイヴァン・エスピノーサ氏だ。

 では、同氏にバトンタッチした前CEOの内田 誠氏はどのような経営を行ってきたのか。

 時計の針を戻すと、内田氏がCEOに就いたのはコロナ禍前の2019年12月だった。当時の日産といえば、元CEOのカルロス・ゴーン氏が保釈中に海外逃亡するという前代未聞の大事件もあり、企業イメージが低下していた時期だった。

 そもそも、日産は長きに渡るゴーン体制の「負の遺産」を背負いながらの経営が続いており、日産としては経営陣を若がらせて「新生・日産」を強く打ち出す必要があった。そうしたなか、中国事業で辣腕を振るう内田氏に白羽の矢が立った。筆者は内田氏の中国勤務時代に何度か、記者とのラウンドテーブル(意見交換会)に参加しているが、当時の内田氏はフランクかつ丁寧に本音トークをしていたことを思い出す。

 内田氏が日産のトップに立ち、最初に打ち出したのが事業構造改革計画「Nissan NEXT」だった。発表は2020年5月だったが、まさかその時点でコロナ禍があれほど長期間に及ぶとは誰もが想像できなかったはずだ。

 それでも、Niissan NEXTでは「フェアレディZ」を筆頭に新たなモデルが計画どおり次々と市場導入され、また懸案だった北米でのインセンティブ(販売奨励金)に頼る販売から脱却することもできた。さらに、2021年11月には2030年代を見据えた長期ビジョン「Nissan Ambition 2030」を公開している。

 この当時、筆者を含めて多くの記者は、内田体制での日産再生についてポジティブな印象をもっていた。ところが、それまで内田氏と二人三脚で経営に携わってきたアニュワニ・グプタ氏が2023年6月に突然退社したあたりから、日産の台所事情がかなり厳しいという印象が広まっていく。

 日産が窮地に追い込まれた理由は、商品企画面や財務面などさまざまあると思う。そのなかでもポイントは大きくふたつ。ひとつは、日産にとって販売台数が多い北米市場でハイブリッド導入時期を見誤ったこと。もうひとつは、日系メーカー中では先んじて積極的な投資によってシェアを拡大していた中国市場において、中国地場メーカー各社による新車値下げの乱売の影響だ。これらを含めて、結果的に内田体制における経営判断が上手く機能しなかったといえる。

 経営環境が悪化するなか、また次世代に向けてクルマの電動化と知能化が必須となるなか、内田氏はホンダとの技術面での連携を足がかりに、経営統合を視野に入れた交渉に向かった。経営統合の前提として、経営再建計画「Re:Nissan」を打ち出し、それをいまエスピノーサCEOが受け継いでいる状況だ。

 こうして内田体制を振り返ってみると、いま日産が直面している厳しい経営状況に陥ったのは、内田氏個人の采配力が原因というより、執行職にある経営陣全体と取締役会が、短期間で急激に変化したグローバル市場の状況をつかみ切れなかったことに起因すると思う。

 今後の日産再生は、いばらの道。ユーザーとしては、その過程をしっかりと見守りながら、クルマ選びを考えていくことになる。

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