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かつては280馬力の自主規制があった登録車もいまじゃ600馬力だってOK! だったらなぜ軽自動車の「64馬力自主規制」は撤廃されないのか? (2/2ページ)

かつては280馬力の自主規制があった登録車もいまじゃ600馬力だってOK! だったらなぜ軽自動車の「64馬力自主規制」は撤廃されないのか?

この記事をまとめると

■軽自動車の最高出力は自主規制で64馬力が上限とされている

■登録車の280馬力規制については2004年に撤廃された

■軽自動車において必要なのは馬力ではなく軽EVで実証されている最大トルク値にある

軽自動車はいつまで64馬力のまま?

 新車のエンジン性能について、最高出力の自主規制が日本で実施されたのは、1989年のことだ。これは登録車に対するものだったが、じつはその前の1987年に、軽自動車の最高出力の自主規制がはじまっている。こちらは現在も続いており、最高出力は64馬力を上限とする。

 1970年代は、排出ガス規制への対処で、世界の自動車メーカーは馬力競争どころではなかった。その突破口を開いたのは、本田技研工業(ホンダ)で、1972年に実用化したCVCC(複合渦流調速燃焼方式)の登場により排出ガス浄化に道筋をつけた。その後、三元触媒が開発され、排出ガス浄化対策は世界的に一段落する。

 そして再燃したのが、エンジンの馬力競争だ。

 国内では、たとえば1979年の日産セドリックに日本車初のターボエンジン車が加えられた。翌1980年には、トヨタもクラウンにターボエンジン車を設定した。また、トヨタは4バルブDOHCエンジンの搭載拡大も積極的に行った。

 そうした時代、社会では暴走族が勢いを増し、1988年には第二次交通戦争といわれ、交通事故死者数が1万人を超えるに至った。ちなみに昨2024年の交通事故死者数は、2663人である。

 当時、運輸省(現在は国土交通省)は、自動車工業会(JAMA:日本自動車工業会)に対しエンジンの馬力規制を要請し、これを受ける形で最高出力の自主規制がはじまったとされる。上限は、すでに発売されていた車種の最高値であった280馬力とした。

 1992年以降は交通事故死者数が減少に転じ、その流れを見つつ自工会は、2004年に自主規制の撤廃を国土交通省へ申し出た。

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