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あの名車テスタロッサが復活……ってじつは2度目だって知らなきゃニワカ! テスタロッサの名前は1950年代から存在していた (1/2ページ)

あの名車テスタロッサが復活……ってじつは2度目だって知らなきゃニワカ! テスタロッサの名前は1950年代から存在していた

この記事をまとめると

■849テスタロッサで1950年代の「赤い頭」由来の歴史的名称が再復活した

■テスタロッサの名は1950年代に生まれレースの世界で成功を収めてきた

■500TRに始まる赤いヘッドの系譜を継ぐモデルたちを紹介する

849登場で再び照らされた伝統

 SF90ストラダーレの後継車として「849テスタロッサ」が発表されたとき、誰もがまず驚かされたのは、やはりテスタロッサというネーミングがリバイバルされたことだったのではないだろうか。

 ちなみにテスタロッサ=Testa rossaとは、イタリア語で「赤い頭」を意味する言葉。多くの人にとってテスタロッサといえば、1984年にデビューを飾った、4942ccの180度V型12気筒DOHC 4バルブエンジンをミッドに搭載し、ピニンファリーナのデザインによる優美なボディを組み合わせた、あのテスタロッサをまずイメージするのではないかと思うが、フェラーリにとってテスタロッサには、まだまだ長いストーリーがある。ここでは簡単にそれを解説していくことにしよう。

 フェラーリがその創立時から、モータースポーツフィールドでの活動をビジネスの核として位置づけてきたことはよく知られているところだが、1950年代に入って続々と高性能な大排気量のV型12気筒エンジンを搭載するモデルをF1に投じてきたフェラーリの圧倒的な強さは、FIAに世界選手権を1952年からF1ではなく、F2によって競わせるという決断を下させるまでに至っていたのだ。

 だがフェラーリは、このFIAによる突然のレギュレーション変更にもまったく動じることはなかった。フェラーリのエンジニアリングチームは、それに対応してリッターあたり100馬力を目指した2000cc仕様の直列4気筒エンジンの開発をスタート。それは当初からの計画どおり1952年シーズンに投入された「500F2」に搭載されることになる(実際にはそれ以前に1951年のパリ・グランプリに、2500cc仕様の625F1が登場しているのだが)。

 ちなみにこの500、625という数字は気筒あたりの排気量を示す。

 500F2に搭載された2000ccの直列4気筒エンジンは、その後1955年にはスポーツカーレース用の「500モンディアール」に、さらに1956年になるとそれは「500TR」へと受け継がれる。この500TRに搭載された、「ティーポ131」と呼ばれるエンジンこそが、一体式のシリンダーヘッドとシリンダーが赤く塗装された「テスタロッサ」であり、現在の849テスタロッサにまで続く、テスタロッサの歴史のはじまりにあるモデルなのだ。車名に添えられたTRの文字はもちろんテスタロッサを示している。

 ピニンファリーナがデザインを担当し、カロッツェリア・スカリエッティが製作したボディは、じつにスムースで空力に優れた造形だ。軽量化も徹底しており、車重は当時の資料によれば680kgしかない。1957年に新たなFIAの車両規定、付則C項に合致させるために製作された「500TRC」を含めても、わずかに17台がマラネロのファクトリーから出荷されたのみの500TRのうち、16台は右ハンドル仕様。わずか1台のみが存在する左ハンドル仕様は、かつて日本のコレクターによって所有されていた。

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