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V8モデルの「849」がなぜテスタロッサを名乗るのか? じつはTRの始まりは直4エンジンのフェラーリだった (1/2ページ)

V8モデルの「849」がなぜテスタロッサを名乗るのか? じつはTRの始まりは直4エンジンのフェラーリだった

この記事をまとめると

■「赤い頭」を意味するテスタロッサの名は1956年の500TRに始まった

■1984年に市販車として約20年ぶりに名前が復活

■F512Mを最後にその名は途絶えていたが849テスタロッサへ名が継承された

20年以上の沈黙を破って復活したテスタロッサ

 前回に引き続き、フェラーリの最新モデルである「849テスタロッサ」へと継承された、テスタロッサの名をもつモデルの歴史を振り返っていくことにしようと思う。

 テスタロッサを意味する「TR」の称号を掲げたモデルが、1956年にデビューした2000ccの直列4気筒エンジンを搭載する「500TR」に始まり、その後1957年には3000ccのV型12気筒エンジンを使用した「250TR」と、その進化型へと受け継がれたことはすでに解説しているとおりだが、フェラーリは250TRシリーズの最終型ともいえる1962年製の「330TRI/LM」を最後に、TR、あるいはテスタロッサという車名を用いることはなくなった。

 それが復活を遂げたのは、330TRI/LMから20年以上の時を経て、1984年のパリサロンで発表された、その名も「テスタロッサ」まで待たなければならなかったのだ。

 1980年代に復活を遂げたテスタロッサは、それまでの一連のBBシリーズ、すなわち1973年に新開発された4390ccの180度V型12気筒DOHCエンジンをミッドシップに搭載して登場した「365GTB4BB」、そのマイナーチェンジ版として排気量を4942ccに拡大して1976年から生産された「512BB」、そして1981年に同エンジンにインジェクションを組み合わせることで誕生した「512BBi」の後継車として企画されたニューモデルだった。

 レーシングフィールドでの栄光に満ち溢れたテスタロッサの名が復活したことに、多くのフェラーリファンはまず特別な感情を抱いたはずだが、それ以上にこのテスタロッサが大きな話題を呼んだのは、ピニンファリーナによって描かれた、BBシリーズと比較すれば一気にエレガントな装いへと生まれ変わった、そのスタイリングにほかならなかった。

 ちなみにこのテスタロッサのスリーサイズは、デビュー時には全長×全幅×全高で4485×1975×1130mmと発表されており、電動ファンを備えるラジエターの搭載位置をリヤサイドに変更した関係から、リヤフェンダーはよりダイナミックな造形となり、ドアから連続する流麗なフィンが独特な雰囲気を醸し出していた。

 もちろんテスタロッサのボディは、ただ単に美しさのみを追求したものではなかった。ピニンファリーナが所有する風洞実験装置や、CAD(コンピューター・アソシエーテッド・デザイン)を駆使して生み出されたボディは、空気抵抗係数(Cd値)で0.36を達成。それは1980年代から1990年代にかけて飛躍的な進化を遂げた空力ボディの、まさにパイオニアともいえる作品だったのだ。

 ミッドに搭載されたエンジンは、512BBiと同様に4942ccの180度V型12気筒DOHCで、その最高出力は390馬力(ヨーロッパ仕様)と、50馬力の強化を果たしている。

 また、テスタロッサには初期型と中期型、そして後期型が存在し、初期型ではセンターロックホイールやAピラーの中央部、左側のみに装着されたサイドミラーが特徴。中期型ではこのサイドミラーは左右のドアにマウントされるようになる。そして、中期型の途中からはエンジンマネージメントシステムも、それまでのボッシュ製KジェトロニックからKEジェトロニックに変更された。後期型は、ホイールがオーソドックスな5本のスタッドボルトをもつものとされたことで識別が可能だ。

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