
この記事をまとめると
■1970年の大阪万博にフェラーリがコンセプトカーをもち込んだ
■ピニンファリーナが手掛けたモデューロと呼ばれるコンセプトモデルであった
■現在は映画監督のジェームズ・グリッケンハウスが所有し公道を走れる状態にしてある
大阪万博で展示されたフェラーリらしくない異色の1台
ベテランのクルマ好きなら、1970年の大阪万博にフェラーリのコンセプトカー「モデューロ」が展示されたことを覚えていらっしゃるのではないでしょうか。イタリア館に飾られた白くて平べったいヘンテコなクルマ、チビッ子たちはそんな印象を抱いたはず。それから優に50年以上の月日が過ぎているものの、「未来の自動車 ピニンファリーナ1970 フェラーリ・シャシ512S」と題されたモデューロの新鮮味はいささかも衰えていません。
モデューロは、もともと1970年のジュネーブショーで発表するためにフェラーリがピニンファリーナに依頼したコンセプトカー。ピニンはたいていのモデルを自走可能に作り上げてきましたが、モデューロもまたフェラーリ612P、つまりはプロトタイプレーサーがベースに選ばれています。
シャシ512Sと名乗っているではないか、とのご指摘もごもっとも。たしかに、1969年に512Sはカンナム向けに作られてはいたものの、本番のレース用であって、とてもコンセプトカーにまわす余裕などなかったのです。で、前年モデルの612Sのスペアや残り物を流用したというのが史家の見方。そもそも612自体が前年の330P4から多数のパーツを受け継いでいますから、モデューロの中身はその辺がごっちゃと思って間違いないでしょう。
このハイブリッドシャシーに平べったいボディを描いたのは、当時ピニンのチーフスタイリストだったパオロ・マルティン。といっても、彼がデザインしたフェラーリはこのモデューロと、サーキットの狼でおなじみの206Cという2台のみ。1973年にはデ・トマソに移籍しているので、フェラーリファンにはなじみの薄いスタイリストかもしれません。
ところで、当時のジュネーブの写真を見ると、モデューロのボディカラーがブラックだったことに気づくかと。どうやら、セルジオ・ピニンファリーナ御大が土壇場で黒に決めたらしく(ピニンは淡いパールブルーも候補に挙げたとのこと)、ショー会場では生乾きだったとされています。
しかしながら、大阪での展示が決まると、どういうわけかマルティンの「コンセプトモデルはホワイトであるべき」とのポリシーが叶えられたのだそうです。マルティンはピニンファリーナの在籍期間が6年と比較的短いのですが、この辺でピニンとの確執があったのではないかとする説もあるようです。ともあれ、ホワイトボディにフェラーリレッドのウェストラインはまさに未来のクルマ的なインパクト。大きなグラスエリアから垣間見えるブラックのインテリアとも相まって、「イタリアってすげークルマ走ってんだな」とチビッ子たちが胸を熱くしたこと想像に難くありません。
なるほど、キャノピー後方にある24個の穴は5リッターV12エンジン搭載をまぎれもなく想像させ、4本の長方形をしたマフラーエンドからは獰猛なハーモニーが奏でられたかと思うと、大人だってワクワクしてくるはず。ちなみに、パイオニアのカーオーディオ「カロッツェリア」のCMでモデューロの走行シーンがあったのですが、エンジンに火を入れることなく坂道の下りを利用したとのこと。動画サイトで見てみると、たしかにスピードが出ていませんでした。
さて、モデューロはその後、2014年に映画監督のジェームズ・グリッケンハウスがオークションで購入しています。驚くべきは、ニューヨークで公道登録がなされ、ときおりグリッケンハウス監督がドライブに供していること。にわかには信じがたいエピソードですが、なんでもありな土地柄ゆえ、未来のクルマが走っていてもなんら不思議ではなさそうです。
