
この記事をまとめると
■アメリカで生産された6番目のミッドシップカーがサリーンS7だ
■サリーンS7は558馬力のフォード製7リッターV8を搭載し最高速322km/hを実現した
■ツインターボやコンペティションパッケージなどの進化版も誕生している
モータースポーツでの実績を引っ提げて登場したサリーンS7
「ポンティアック・フィエロ」、「コンシュリアGTP」、「モスラー・ラプター」、そして「ベクターW8」と「ベクターW12」の両車。いきなり何の関連性もないような車名を羅列することになってしまったが、これらはアメリカで生産に成功したミッドシップ車の数々だ。
いや正確には、今回紹介するサリーン・オートモーティブが、2000年の8月にカリフォルニアのラグナセカレースウェイで開催されたヒストリックカーレースで世界初公開した、「S7」が登場するまでに、アメリカに存在したミッドシップの基本設計を採用したスポーツカーであり、それはわずか5台があるのみだった。サリーンS7は、それに続く、アメリカで6番目のミッドシップスポーツとして誕生し、2002年からそのセールスを開始したスーパーカーである。
セールスに先立って、2001年からモータースポーツの世界に投入されたS7は、その圧倒的なパフォーマンスで多くのファンの心を強く刺激した。それがスーパーカーにとって何よりも大きなセールスプロモーションとなることは、すでに多くのメーカーによって証明されているところだったが、S7においてもその事情は変わらなかった。結果、S7にはロードモデルの生産開始を一日も早く求めるリクエストが数多く届くようになった。
S7という独自のスーパーカーを生み出すまでのサリーンは、フォードのプロダクションモデルをベースに、それをさらに高性能化することをビジネスの主軸としていたスペシャリストだった。その代表作ともいえる「サリーン・マスタング」の歴史は1984年にまでさかのぼることが可能だが、それはレーシングドライバーとしてフォーミュラ・アトランティックやトランザムシリーズで活躍した創業者、スティーブ・サリーンがもつ経験値とともに、エンジニアリング能力の高さが見事なまでに反映されたモデルだった。
そのサリーンが次なるステップとして、新たに完全自社開発のスーパーカーを生み出そうとしたのは、まさに自然な成り行きともいえたのだが、ここで改めて触れておきたいのは、彼らがそれにS7というネーミングを与えた理由だ。
それはミッドに搭載されるV型8気筒エンジンの排気量を意味しているのだが、それをアメリカでは一般的な427立方インチではなく、あえて7リッターと表現しているところにS7のコンセプトが表れている。サリーンはその市場をアメリカのみならず、将来的には世界中へと広げることを想定していたのだ。
S7のボディスタイルは、かつてのGT1、あるいはさらに以前のグループCカーのそれにも似る、きわめてダイナミックで、そしてエアロダイナミクスに富むものだった。クロームモリブデン鋼で基本ストラクチャーを構成し、それをハニカムコンポジッドパネルで補強していく手法で製作されたシャシーのミッドに搭載された7リッターのV型8気筒OHVエンジンは、意外にもフォードの351立方インチ(5.7リッター)、すなわちスモールブロックをベースとするもので、もちろんそれを構成する部品のほとんどはサリーンによるオリジナルだった。
