
この記事をまとめると
■アウディの意向が完全に反映されたニューモデルとして2003年にガヤルドが誕生した
■ガヤルドはV10をミッドシップレイアウトした4WDのスモール・ランボルギーニだ
■2007年には軽量化を施したスパルタンなガヤルド・スーパーレッジェーラもデビューした
アウディの意向が反映された新生ランボルギーニ
1998年にアウディ・グループに再編されたランボルギーニ。その新生ランボルギーニから最初に誕生したモデルが、2001年に発表された新型12気筒ミッドシップの「ムルシエラゴ」であったことはすでに解説しているとおりである。だが、このムルシエラゴの基本的なメカニズムの構成は、それまでのディアブロから大きく変化してはいなかった。
アウディの意向が完全に反映されたニューモデルの登場は、2003年のジュネーブショーでワールドプレミアされた「ガヤルド」まで待たなければならなかった。
ランボルギーニはかつて、「スモール・ランボルギーニ」と呼ばれる、V型8気筒エンジンをミッドに搭載するモデルを生産していた。1973年に発売された2+2の「P250ウラッコ」に始まり、「P300ウラッコ」、「P200ウラッコ」、そして2シーターの「シルエット」、「ジャルパ」へと続いたスモール・ランボルギーニの歴史は、ジャルパが1988年に生産を中止したことで一度はその幕を閉じてしまうのだが、それが再びランボルギーニのラインアップに加わることになったのだ。ガヤルドという新型車に対する期待感は、当然のことながら非常に大きなものだった。
ガヤルドの開発プロジェクトに、いかにアウディが密接に関係していたのかは、そのメカニズムを検証していけば何より明らかになる。
まずはムルシエラゴでは伝統のスチール製スペースフレームが継承されていた基本骨格は、ガヤルドではより軽量なアルミニウム製へと改められ、それはアウディがドイツのネッカースウルムにもつ工場で、ボディとともに生産されるシステムだった。
ボディデザインは、アウディからチーフ・スタイリストとして、当時ランボルギーニに設立されたばかりのチェントロ・スティーレ(スタイリング・センター)へと移籍してきたルーク・ドンカーヴォルケの手によるもの。ちなみにムルシエラゴは彼がアウディ時代にスタイリングしたモデルである。
斬新さとともに、リヤセクションではカウンタックのそれを彷彿させるディテールを採り込むなど、趣味性の強さもあわせもつガヤルドのボディは、もちろんエアロダイナミクスにおいても当時の最高水準にあったのはいうまでもない。
