
この記事をまとめると
■F1エンジンを市販セダンに搭載するプロカー構想はアルファロメオのみが実現へ動いた
■164プロカーはF1級性能をもちながら計画消滅で幻の存在となった特異なマシンとなった
■実戦は叶わずもデモ走行と動態保存で強烈なレガシーを今に伝えている
幻に終わったF1セダンレース
F2やF3、ポルシェ・スーパーカップやフェラーリ・チャレンジなど、F1のサポートレースは前座といえども見ごたえのあるものばかり。それだけに、1988年にプロカーレースが開催されなかったことは残念でなりません。F1エンジンを搭載した4ドアセダンという突飛なコンセプトに乗り気になったのがアルファロメオだけだったという惜しい状況でしたが、「死して虎は皮を残す」の言葉どおり、驚異的なレガシーとして164プロカーが生まれたのは、クルマ好きにとって唯一のなぐさめに違いありません。
そもそもプロカーレースの名は1979〜1980年に開催された、BMW M1のワンメイクレース「BMW M1プロカーレース」で初めて使われました。F1レース前にF1ドライバーがM1を駆るという凄まじい内容だったものの、やはり定着するのは難しかった模様。
その後、F1は1000馬力以上に達した過激な「ターボ時代」の終焉を迎え、1989年から3.5リッター自然吸気エンジンへ移行。ここでFISA(国際自動車スポーツ連盟)のバーニー・エクレストンが「F1用のV10やV12エンジンを量産セダンに載せたレースって面白いかも」とプロカーレースを提唱したのでした。
バーニーとしては、当時のエンジンメーカー各社(ホンダ、ルノー、フィアット/アルファロメオ等)が新しいエンジンを開発するなか、それらを「自社の市販車に近い姿」で走らせることで、より直接的なマーケティング効果があるはずだと焚きつけたわけですね。なるほど、F1と同等のサウンドと速さをもつツーリングカーが競うことで、観客を熱狂させるエンターテインメントとなりそう。
ですが、食いついたのはアルファロメオだけで、他社は膨大なコスト、すなわちシャシーからエンジンまでF1レベルの技術が必要であり、1台あたりの製作費が市販のツーリングカーとは比較にならないほど高騰することからあっさり辞退。アルファロメオは上っていた梯子を外されてしまったのです。
そんな164プロカーですが、鼻息を荒げて開発したのはアルファロメオだけでなく、F1レースで協業関係にあったブラバム、フィアットグループのレース部門を担ったアバルトも加わり、盤石の体制を築いていたのです。
興味深いのは、三社ともそれぞれコードネームをつけており、ミラノは164プロカーそのままで、ブラバムはF1と同列の「BT57」、アバルトもまたレーシングカーナンバー「SE046」を与えています。オタク同士の会話では、自分が属する派閥の呼び名を使って「あ、アバルト界隈だとSE046だっけ」などといってそう(笑)。
