
この記事をまとめると
■独特の「アルファ顔」はコンセプトカーのヌヴォーラが発端だ
■ヌヴォーラはワルター・デ・シルバによってデザインされた
■市販されなかったヌヴォーラであるがその後のモデルに影響を与えた
1996年のパリモーターショーで公開された1台のコンセプトカー
アルファロメオといえば、バンパーラインを貫くように盾型グリルをレイアウトした、唯一無二な個性的なフロントフェイスでお馴染みだ。現在のこの顔を決定づけたのは、日本でも大ヒットしたアルファ156だったように思う。そして、そんなアルファ156に、露骨に影響を与えたモデルがあったのをご存じだろうか。それこそが、アルファロメオ・ヌヴォーラである。
1996年のパリモーターショーで発表されたヌヴォーラは、当時のアルファロメオ・チェントロ・スティーレ(デザインセンター)を率いていた天才デザイナー、ワルター・デ・シルバの手によって生み出された2シータークーペのコンセプトカーだ。
その名はイタリア語で「雲」を意味すると同時に、伝説のレーシングドライバーであるタツィオ・ヌヴォラーリへのオマージュも込められているという。流麗かつ筋肉質なボディラインは、1930〜50年代にかけてのアルファロメオがもっていた官能的なデザインを、当時の1990年代の感性でアップデートしたものだった。
そしてメカニズムも本格的。エンジンは2.5リッターのV6「ブッソ」をベースに、ツインターボで武装。最高出力300馬力、最大トルク39.3kg-mというスペックは、当時としては一線級であり、さらにこのパワーを路面に伝えるのは6速MTと4WDシステムだったというから、いかにもアルファロメオらしい情熱的なスポーツカーだったのである。
そんなヌヴォーラであるが、アルファロメオは単なるデザインスタディとして開発していたものではなかったという。当時のアルファロメオは、フィアット製プラットフォームを流用した前輪駆動車が主流となっており、かつてのスポーツカーメーカーとしての輝きを失いつつあった。
そこでワルター・デ・シルバが提案したのが、ヌヴォーラの「スペースフレーム構造」である。ヌヴォーラのフレームは、ボディ外板を自由に着せ替えることができる構造になっており、クーペ、ロードスター、シューティングブレークなど、コーチビルダー(カロッゼリア)が自由に異なるボディを架装できることを目指した「エンジニアリングモデル」であったという。
これは、世界中のコーチビルダーが独自のボディを載せて限定生産できるベース車両としての役割を想定していたことを意味する。アルファロメオは、かつての黄金時代に築いた伝統への回帰路線を模索していたのだ。
しかし、この思惑は脆くも崩れ去った。独自のスペースフレーム構造は、少量生産には向いているものの、衝突安全基準の適合や大量生産ラインへの組み込みという点で課題が多く、またコストもかかるものであった。しかも1990年代後半は、高級スポーツカー市場はまだ冷え込んいる時代であり、高価なV6ツインターボの4WDクーペに対して、親会社であるフィアットがGOサインを出すことができなかったのだ。その結果、ヌヴォーラはコンセプトモデルとしてその役割を終えることとなった。
それでもアルファロメオは諦めなかった。当時、ミドルサイズセダンとして開発されていたアルファ156に、ヌヴォーラで提示した「バンパーラインを貫くようにレイアウトした盾型グリル」を再現し、1997年に発売したのだ。これにより、アルファロメオのフロントフェイスは一変し、現代に続く「アルファ顔」の基礎が確立されたのである。
また、フラッグシップセダンの166にも、ヌヴォーラからインスパイアされた垂れ目のヘッドライトやボディサイドの波打つキャラクターラインが継承されている。さらにいえば、2007年に発売された8Cコンペティツィオーネのグラマラスなリヤフェンダーの造形にも、ヌヴォーラの影響を見ることができる。
もしヌヴォーラがなければ、156の大ヒットも、166の艶めかしいスタイリングも、8Cコンペティツィオーネの美しくも力強いフォルムも、生まれていなかったかもしれず、その後のアルファロメオのデザインアイデンティティの確立もなかったかもしれないのだ。
いまあらためてヌヴォーラ眺め返しても、発表から30年が経過しようとしているにもかかわらず、その造形には一切の古臭さを感じない。アルファロメオの「雲」は、自らその姿を消すことで、アルファ・ロメオというブランドに光を当てることになったのだ。偉大なるアルファロメオ・ヌヴォーラに敬礼。
