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こんな凄い自動車メーカーが歴史の荒波で埋もれてしまった! チェコの「タトラ」という悲運の天才メーカー (1/2ページ)

こんな凄い自動車メーカーが歴史の荒波で埋もれてしまった! チェコの「タトラ」という悲運の天才メーカー

この記事をまとめると

■タトラは戦前のチェコで革新的な乗用車を開発し自動車技術を大きく前進させた

■流線形ボディや空冷RRレイアウトなど先進技術はポルシェにも影響を与えた

■戦後は社会主義体制下で乗用車開発が制限されたが名車を生み出した

じつは東欧にも有力メーカーがあった

 学校で習う世界史は苦手でも、ことクルマが絡んでくると戦前から戦後にかけてのストーリーは俄然興味深くなるというもの。たとえば、戦前のチェコスロバキアは、現在のイメージからは想像もつかないほどの『欧州屈指の工業大国でありながら、大国の思惑に翻弄された悲運の先進国』でした。その高い技術力ゆえに、のちにナチス・ドイツの標的となってしまうのですが、そんな激動の時代に世界最先端、かつ超個性的な高級車を作っていたメーカーがありました。いまではトラックメーカーとして知られるタトラこそ、歴史に翻弄された劇的な背景をもったメーカーなのです。

 初っ端まで遡れば、19世紀なかば、1850年の創業となるタトラ。当初は馬車メーカーとしてスタートし、自動車を作るようになったのは20世紀を迎えてすぐのこと。歴史の教科書みたいに表現すれば、オーストリア・ハンガリー帝国崩壊からチェコスロバキア共和国成立に沿った流れとなり、嫌でも歴史の重みを感じるかと。

 クルマづくりが本格化したのは1920年代のこと。当初からタトラ車の基礎となる技術を担っていたのが、ハンス・レドヴィンカというエンジニアで、1923年に発売されたT11はいまでもエポックメイクなモデルとして知られています。1本の太いパイプを背骨(シャシー)にし、その先端に空冷水平対向2気筒エンジンを搭載、「バックボーンチューブ+スイングアクスル独立懸架」という、当時としては異次元の軽量・悪路走破性を誇るものだったのです。

 また、1934年にはヨーロッパでタトラの名を不動のものとしたセダン、T77をリリースしています。それまで、自動車のボディはオーダーメイドか、ハリボテ細工のようなものしか作れなかったのですが、タトラは世界初の量産できる流線形ボディを開発。しかも、航空力学をいち早く取り入れ、驚異的な低空気抵抗(Cd値0.212と推定されています)を実現したといいますから、時代の先取りもいいところ。

 そして、かのフェルディナンド・ポルシェが参考にしたといわれるのが、空冷V8エンジンをリヤに縦置きしたRRパッケージ。いうまでもなく、トラクションと乗員スペースの確保に貢献し、以後のタトラ車のロールモデルとなっていきました。発展型のT87はヨーロッパ各国に輸出され、ドイツのトップになったばかりのヒトラーもこれを好んでいたと伝えられます。

 ちなみに、ポルシェ博士はその縁でタトラを研究し、ついにはフォルクスワーゲンを作り上げるのですが、これは剽窃(コピー)とみなされてのちに巨額の賠償金をタトラに支払っています。

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