
この記事をまとめると
■運転士に近い視界を楽しめるヲタシートはバスファンの特等席
■燃料タンクの移設や死角低減など車両構造の変化で減少
■安全性や乗降時の転倒防止を考えれば廃止もやむを得ないといえる
安全性を優先する路線バスならではの事情
路線バスの前方乗降扉のすぐうしろ、フロントウインドウの左側に位置する最前列座席。通称「ヲタシート」と呼ばれるこの席は、バスファンのみならず、多くの乗客にとって特別な空間として親しまれてきた。しかし近年、この特等席が車内から急速に姿を消しつつあるという。なぜマニアはこの席を熱狂的に愛し、そしてなぜいま、廃止の方向へと向かっているのだろうか。
バスマニアがこの席を好む最大の理由は、ほかでは味わえない圧倒的な臨場感と視界の広さにある。前方の大きな窓から広がる景色は、まさに運転士とほぼ同じ視界だ。刻々と変わる道路状況や、プロのハンドルさばき、流れるようなペダルワーク、指差歓呼(しさかんこ)といった一連の動作を特等席からつぶさに観察できるのだ。さらに、遮るもののない前面の景色は、動画や写真の撮影においても最高のポジションとなる。また、 次の停留所へのアプローチや狭隘路のすり抜けなど、大型車両を操る技術をもっともダイレクトに五感で体感することもできるのだ。
一方で、運転手はこの席に対して必ずしも好意的な感情だけを抱いていたわけではない。むしろ、廃止に対して「安堵している」という声が現場からは多く聞かれる。 常に背後や斜めうしろから一挙手一投足を見つめられる環境は、プロといえども強いプレッシャーとなるからだ。
とくに左側の巻き込み確認を行う際には、ヲタシートの乗客と至近距離で目が合ってしまうことが多く、これが運転への集中を削ぐ要因になるとされる。また、一部の心ないマニアによる過度な動画撮影や、車内アナウンスに被せるようなひとりごと、ヲタシートの席奪い合いによるトラブルなども、運転手のストレスに拍車をかけることになる。
では、なぜ近年になってこの席の撤去や廃止傾向が加速しているのか。これには、車両構造の変化と安全性の追求という合理的な理由が存在する。まず挙げられるのは、燃料タンク位置の変更だ。給油作業の効率化のため、タンク位置を車両後部から左前輪(タイヤハウス)の上に移動する車両が増加。必然的に、ヲタシートは撤去されることになった。
これにより、運転席から左前方の死角が劇的に減り、交差点における巻き込み確認が容易になったということも大きい。また、ヲタシートは前輪のタイヤハウス上にあるので、どうしても座面が高くなってしまう。そのため、幼児や高齢者は乗降時に転倒するリスクがあるといった指摘もされていた。
現在、日本の路線バス市場で大きなシェアをもつ、いすゞ「エルガ」や日野「ブルーリボン」といった現行モデルでは、新型へのマイナーチェンジを機に、すでにこの左最前列席を設けない仕様(あるいは荷物置きスペース)が標準、もしくは主流となっている。ファンにとっては、幼いころからの憧れであり、バス旅の醍醐味でもあった「特等席」が消えるのは、一抹の寂しさを覚えざるを得ない。
しかし、「左折時の歩行者巻き込みを防ぐためのクリアな視界」や、「幼児・高齢者の転倒防止」が理由であれば、納得せざるを得ない。ヲタシートの減少は路線バスがより安全で、誰もが安心して利用できる公共交通機関に進化するために、必然なステップなのだろう。
