
この記事をまとめると
■MT車はいまだに幅広い車種で生き残っている
■自分の手足でクルマを操る身体性と操作ミスを抑える構造的な安全性が利点
■機械と対話する楽しさを味わう嗜好品としての価値も高まっている
なぜメーカーはMTを作り続けるのか
「絶滅危惧種」といわれることも多いMT車。新車販売に占めるシェアは日本国内でわずか1〜2%程度であり、世の自動車メディアも、ことあるごとに「いまのうちに買っておかないと二度と乗れなくなる!」と煽り立ててきた。
だが、冷静に周囲を見渡してみてほしい。トヨタのGRヤリスやGRカローラ、マツダ・ロードスターはもちろんのこと、ホンダ・シビックタイプRや日産フェアレディZ、果ては商用車および軽トラに至るまで、数が減ったとはいえ、MTの火は一向に消え去る気配がない。輸入車に目を向けてみても、ポルシェは911や718ケイマンにかたくなに3ペダルを残している。
世間がどれほどEVシフトや自動運転、そして電光石火の変速レスポンスを誇る多段ATまたはDCTを称賛しようとも、なぜ自動車メーカーは、多大な開発コストをかけてまでMTを残すのか。アレは、単に「ノスタルジーに浸りたいおっさんのためのおもちゃ」なのか?
結論から申し上げると、断じて違う。現代においてMT車が残り続けることには、きわめて論理的な3つの意義が存在している。
まず第一に挙げられるのが、人間が道具を操る根源的な歓び、すなわち「身体性」と「自己効力感」の獲得である。
現代の2ペダル車は驚くほど優秀だ。アクセルを踏み込めばミリ秒単位で最適なギヤが選ばれ、シフトショックもほぼ皆無で滑らかに加速していく。そしてパドルシフトを弾けば、プロドライバー並みの電光石火なシフトダウンも決まる。だが、それはあくまで「コンピュータにお伺いを立て、コンピュータが変速してくれた結果」に過ぎない。
それに対してMT車は、左足でクラッチペダルを踏み込み、左手でフロアから生えた金属の棒を所定のゲートにねじ込み、右足でエンジン回転数を合わせながら、フワリとクラッチ板を噛み合わせる。この一連の動作には、それなりの筋力と神経の集中、そして状況判断が必要とされる。
クラッチ操作を雑にやればガクガクとクルマが揺れ、同乗者からは冷たい視線を浴びる。シフトミスをすればギヤが悲鳴をあげる。しかし回転数がピタリと同期し、ほぼなんの手応えもなく吸い込まれるようにギヤシフトが決まった瞬間、車体はまるで自分の足の一部になったかのように、滑らかに前へと進む。
「上手く走れたのも、ヘタクソに走ってしまったのも、すべて自分の手足の責任」。この痛快なまでの自己責任とダイレクトな手応えこそが、人間を「移動体の単なる搭乗者」から「操縦者」へと引き戻してくれる。
どれほどAIや自動化が進もうと、人が自分の肉体を使って道具を思いどおりに制御したいと願う本能を失わない限り、この感覚を代替できる装置はほかに存在しないのだ。
