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【70年代のF1マシン】幻の6輪マシンも製作していたマーチ (2/2ページ)

【70年代のF1マシン】幻の6輪マシンも製作していたマーチ

F1キットカーを販売するために立ち上げられた

 フェラーリなどごく一部のチーム/コンストラクターを除くと、1970年代のF1マシンはすべて、フォード・コスワースDFVエンジンを搭載していた。ロータスとフォード、そしてコスワースがジョイントして生まれたDFVエンジンは、70年代にはF1GPにおけるスタンダードとなっていた。

さらにヒューランドのミッションとロッキードのブレーキ。こうした主要コンポーネントを購入してくれば、誰にでもF1マシンを作ることができた。70年代のF1GPは、そんな長閑な空気に包まれていた。

 そしてそのことから、新興チームが製作するマシンを「F1キットカー」と呼ぶようになった。彼らはF1GPに挑戦するために「F1キットカー」を製作したのだが、反対に、その「F1キットカー」を販売するために立ち上げられたコンストラクターもあった。今回の主人公、マーチ・エンジニアリングはその好例だ。

 ちなみに、元レーシングドライバーで弁護士資格を持ち、後にFIA会長となるマックス・モズレー(Max Mosley)、元レーシングドライバーでチームマネージメントを担当、後にF1チームのシャドウの代表となるアラン・リース(Alan Rees)、エンジニアのラハム・コーカー(Graham Coaker)、デザイナーのロビン・ハード(Robin Herd)、設立に係った4人の若者の頭文字から命名されている。

購入したティレルが勝利を挙げた初の市販F1マシン

1970 March 701・Ford Cosworth DFV

 以前ティレルの回でも紹介したが、マーチ初の市販F1マシン、701・コスワースは、これを購入したユーザーチームのティレル・レーシング・オーガニゼーションが、シーズン2戦目、701にとっては参戦2戦目のスペインGPで早くも優勝を飾っている。

ただしマシンのパフォーマンス云々よりも、大荒れに荒れたレースを上手く乗り切ったジャッキー・スチュワートのテクニックと“運”に因るところが大きかった。実際、それ以降は優勝もなく、スチュワート(ランキング5位)と、ワークスのクリス・エイモン(同7位)が何度か表彰台に立つ程度。

スチュワートが何度もポールを獲り速さを証明したが、エンジンなどトラブルが多すぎた。#1はスチュワートがドライブしたマシンそのもので、16年に英国自動車博物館(旧ヘリテージ・モーター・センター)で撮影。

ティートレーと呼ばれたフロントウイングを装着した721

1972 March 721・Ford Cosworth DFV

 デビューシーズンとなった1970年に、コンストラクターズ3位と、まずは順調な滑り出しを見せたマーチだったが翌71年は苦悩のシーズンとなった。

前年の稼ぎ頭だったスチュワート/ティレルがオリジナルマシンを製作して独立したことも影響した。前年の701は、翼形のサイドポンツーンを装着するなど新しいアイデアも幾分盛り込まれていた。

全体的にはコンベンショナルなパッケージングでまとめられていたが、711ではデザインを一新、ラジエターをコクピット後方の両サイドに移し、丸っこく小振りにまとめられたノーズに、オーバルの1枚ウィングを載せる……。

まるでティーカップの乗ったお盆を手で捧げ持ったような印象から、ティートレーとニックネームがつくなど斬新なデザイン手法だったが、5回の表彰台を獲得したロニー・ピーターソンがランク2位につけたもののポイントはチャンピオンとなったスチュワートの約半分。

稼ぎ頭のピーターソンがその有様では、フェラーリと同ポイントのランキング3位は上出来。翌72年には721にアップデートしているが、シーズン早々、ヨーロッパラウンド初戦のスペインGPでブランニューの721Xに主戦の座を明け渡すことになったのも当然か

 写真の個体は72年の開幕2戦にのみ参戦した721。ティートレーと呼ばれたフロントウィングを装着しているから開幕戦・アルゼンチンGP仕様、ということになる。16年にドニントンのGPコレクションで撮影。

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