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よくも悪くも衝撃的な作品多数! 平成2年に誕生したニッポンの名車5選 (1/2ページ)

よくも悪くも衝撃的な作品多数! 平成2年に誕生したニッポンの名車5選

いまや大人気のミニバンというジャンルを確立したモデルも

 平成の元号が間もなく終わろうとしている。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じだった。そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かった方、悪かった方含めて振り返ってみたいと思う。前回の平成元年編に続き、今回は平成2年編をお送りする。

■平成2年(1990年)ってどんな年?

 平成元年年末に記録した株価の最高値は下落をはじめ、バブル経済に陰りが見えてきたものの、それでも好景気には変わらなかった。テレビ番組では昨年作者のさくらももこさんがご逝去されたが未だに続きている「ちびまる子ちゃん」と、民放ドラマとしては異例の1年間というサイクルで、こちらも未だに特番が放送される「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」が始まった年でもあった。また自動車業界では軽自動車の規格が若干のサイズアップと排気量が550ccから660㏄に拡大されたことも話題になった。

1)トヨタ・初代エスティマ&マツダ・初代MPV

 初代エスティマと初代MPVの登場まで、3列シートの多人数が乗れる日本車というのは商用車ベースの1BOXカーか、日産プレーリーや三菱シャリオという小型車ベースのものだけだった。そこに登場した初代エスティマと初代MPVは3ナンバーボディとなるサイズも含め高いプレステージも持ち、いまでは当たり前の存在となったミニバンというジャンルを確立した。

 また初代MPVはオーソドックスなFRレイアウトだったが、初代エスティマは補機類を短いボンネットに切り離して配置し、エンジンは75度傾けて床下に搭載するアンダーフロア型ミッドシップレイアウトという画期的なものを採用。このレイアウトによりフロアの高さは高かったものの、安全性や重量配分に優れ、当時の多人数が乗れるクルマとしてはズバ抜けたハンドリングも実現した。

  

 また後にエスティマを5ナンバーサイズとしたルシーダ&エミーナも追加され、こちらも人気となった。(その反面生産コストが高く、搭載できるエンジンが限られるという弱点もあり、このレイアウトは初代エスティマファミリーにしか使われず、エスティマ自体もオーソドックスなFFレイアウトのミニバンになったのは少々惜しかったが)。

2)日産・初代プリメーラ

 ヨーロッパでは日産の英国工場で生産され、北米では高級車チャンネルのインフィニティブランドでG20として販売される国際戦略車として登場した初代プリメーラは、一見当時のコロナやブルーバードとそう変わらないクルマに見える地味な4ドアセダンであった。

 しかしその地味な4ドアセダンは、アウトバーンでの使用も想定し2リッターNAで150馬力というさほどパワフルでないスペックながら低速から太いトルクを出し、空気抵抗も小さいため200㎞/hを余裕で超える最高速をマーク。高速燃費もエンジン内部にナトリウム封入バルブを採用し、高負荷時の燃費低下に直結する燃料冷却をしないで済むことや空気抵抗の小ささにより良好。

 さらにフロントサスペンションにはマルチリンクという当時のスカイラインやフェアレディZ、インフィニティQ45に採用された接地性に優れるものを使い、ハンドリングも素晴らしいという和製ヨーロッパ車のようなクルマだった。その明確なキャラクターもあり、日本でも長期間にわたって人気をキープした。

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