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振り返ると「名車しかない」のにナゼ? かつて同じ会社だった「いすゞ」と「日野」が乗用車から撤退したワケ (2/2ページ)

振り返ると「名車しかない」のにナゼ? かつて同じ会社だった「いすゞ」と「日野」が乗用車から撤退したワケ

この記事をまとめると

いすゞと日野自動車はもともとは同じ会社であった

■日野ルノーやコンテッサなどの乗用車を販売した日野自動車だがトヨタとの提携で乗用車から撤退

■いすゞは他社からのOEMで乗用車を販売しながら徐々に商用車専業にシフトした

ノックダウン生産から始まった日野の乗用車

 現在はトラック・バスといった「はたらくクルマ」の専業メーカーとして知られる日野自動車といすゞ自動車。この両社が、かつて乗用車を生産していたことを知っているだろうか。

 振り返れば、いずれも1953年に初めての乗用車を生み出している。いすゞは英国のルーツ社と提携して「ヒルマンミンクス」のノックダウン生産を行い、日野はフランスのルノーと提携して同様に4CV(日野ルノー)をノックダウン生産したことで乗用車に参入した。

 ちなみに、いすゞの創業は1937年で当時の社名は「東京自動車工業」といい、戦前は主にディーゼルエンジンとトラックを作っていた。1942年には同社の日野製造所を「日野重工業」として分離したが、それが後に日野自動車となる。じつは親子とも兄弟ともいえる関係なのだ。

 さて、ルノー4CVは、水冷4気筒エンジンをリヤに搭載するRRレイアウトのファミリーカーだった。その影響もあってか、その後に日野が作ったオリジナルモデル「コンテッサ」はRRレイアウトを踏襲することになる。

 ノックダウン生産を並行して開発されたコンテッサのデビューは1961年、当初は893ccだったエンジンは、1964年に誕生した最終進化形では1251ccまでスープアップ、コンテッサ1300と呼ばれるようになる。イタリア・ミケロッティの手によるデザインは評価も高く、セダンとクーペのバリエーションを用意した。しかし、日野オリジナルの乗用車はコンテッサ1300を最後に途絶えることになる。なぜ乗用車生産から撤退したのかといえば、経営状況が芳しくなかったからに他ならない。

 メインバンク主導によりトヨタと提携する動きが起り、1965年から提携交渉がはじまった。その中で日野自動車は「コンテッサの生産をやめるかわりにトヨタからの生産委託などの強力援助を求める」ことを提案した。

 そうして1966年に、トヨタ傘下となった日野自動車はオリジナルモデルの生産をやめ、トヨタ・パブリカの生産委託を受けるようになる。その後、トラックにリソースを集中したことで商用車でのシェアを拡大、あっという間にトップメーカーの地位へと上り詰めた。

 コンテッサという名車が消えてしまったことは残念としかいえないが、トヨタグループ入りをするという日野自動車の経営判断は当時においては正解だったといえるだろう。

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