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昔はRRのクルマが多かったのにいつしかポルシェぐらいに! 意外に多いRRのメリットとそれでも消えたワケ (2/2ページ)

昔はRRのクルマが多かったのにいつしかポルシェぐらいに! 意外に多いRRのメリットとそれでも消えたワケ

この記事をまとめると

■1950年代から1960年代ごろのクルマはRR方式が広く普及していた

■RR方式が多い背景には技術的な問題が多かった

■水冷エンジンが普及して以降はFF駆動が一般的となった

かつてRRは特別な存在ではなかった

 1950年代の末から1960年代にかけて、国民車としての期待がかけられた軽自動車登場では、スバル360を筆頭に、リヤエンジン・リヤドライブのRR方式が多くみられた。

 スバル360のほか、マツダ・キャロル、スズキ・フロンテがRRだった。また、登録車では1961年の日野(現在はトラック/バスのみ)コンテッサがRRだった。欧州では、コンテッサを生み出した日野が国内で組み立て生産をしていたフランスのルノー4CVがRRであり、ドイツのフォルクスワーゲンが1945年に売り出したタイプ1(通称:ビートル)や、ワンボックスのワゴン車であるタイプ2、現代風の外観を持つタイプ3などがRRを採用していた。スポーツカーのポルシェ911もRRを現在なお引き継ぐ。イタリアでは、フィアット500がRRとして有名だ。

 このように、かつてRRを採用する車種が多く見られた背景には、技術的な理由がある。

 ひとつは、空冷式エンジンが多かったことだ。それによって、ラジエターが不要となり、エンジンの搭載位置は、前でも後ろでも差し支えなかった。

 ふたつ目は、ほとんどのクルマが後輪駆動であり、車体後ろにエンジンを搭載することで後輪にかかる荷重が増え、タイヤのグリップを高めることができた。1950年前後にラジアルタイヤが誕生するまで、バイアス構造のタイヤはグリップが低く、直進安定性も不足していた。そこで荷重をかけることでしっかり走る手応えが得やすかったのである。

 3つめは、エンジンと変速機、そして駆動系となるデファレンシャルなどの機構を一カ所にまとめることで、車体の空間を有効活用しやすくなる。また、床下にプロペラシャフトが通らないことで、平らなフロアを実現できる。RRのほかは、フロントエンジン・リヤドライブのFRがほとんどであり、その室内空間は窮屈さが目立った。

 この3つ目の目的には、フロントエンジン・フロントドライブというFFも同じことがいえる。客室前に、動力や駆動系を集中させる手法だ。ただし、FFの場合は、前輪で駆動しながら、操舵もしなければならない。後輪に比べ前輪の負担が大きくなり過ぎるほか、操舵をした際の前輪の切れ角を大きくとりにくかった。つまり、小まわりしにくくなる。それは、ユニバーサルジョイントの制約があるし、操舵した際に、タイヤがエンジンやフェンダーなどと干渉するのを避ける必要もあった。

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