
この記事をまとめると
■マクラーレンF1GTRは1995年のル・マン24時間レースを制した
■ル・マンを制したマクラーレンF1GTRのマネージメントをしたのが「ランザンテ」だった
■ランザンテは「ポルシェ911 TAG ターボ・バイ・ランザンテ」を製作した
レース業界ではよく知られた「ランザンテ」
1995年のル・マン24時間レースで総合優勝を飾ったのがマクラーレンの「F1GTR」だったことは、モータースポーツの、そしてまたマクラーレンのヒストリーに詳しい人にはよく知られているところだ。
そもそも1992年に発売されたマクラーレンF1ロードカーには、その開発段階ではモータースポーツへの参戦は一切計画されていなかったが、それがもつパフォーマンスは多くのレーシングチームにとって非常に魅力的なものであり、F1ロードカーをベースとしたレース仕様(それは当時のGT1規定によるものだった)の製作を望む声は、日を追うごとに高まりを見せていったのである。
結果、マクラーレンが1995年に発表したのが、トータルで28台がデリバリーされるに至ったF1GTRであり、そのもっとも価値ある戦績が、最初に触れた1995年のル・マン24時間レースだったのだ。
今回のストーリーの主役は、このレースを制したゼッケン「59」のF1GTRのセットアップやメンテナンス、そしてレースマネージメントを担当した、イギリスのハンプシャー州ピータースフィールドに本社を構える「ランザンテ」だ。
現在では正規ディーラーのマクラーレン・ピータースフィールドを傘下に収めるこの会社が、F1GTRでのル・マン24時間レースを制覇してから30年という節目にあたる2025年、マクラーレン製のカーボンモノコックを使用した、59台を限定生産する計画のオリジナルのスーパーカー「95-59」を発表したことは以前にも紹介しているが、それと並行して彼らはもうひとつのプロジェクトを着々と進行させていた。
それは究極のレストモッド・ポルシェ911ともいえる、「ポルシェ911 TAG ターボ・バイ・ランザンテ」。その製作にはやはりマクラーレンが深く関係しているのはいうまでもない。
