
この記事をまとめると
■ランチアが「イプシロン・ラリー2 HFインテグラーレ」をWRC2に投入する
■かつてランチアはさまざまなモデルによりWRCで勝利を重ねた
■新マシンの投入でラリーに強いランチアが復活するか注目だ
WRCの歴史に残るランチアのラリーカーたち
ちょっと古いニュースになるが、ステランティス・モータースポーツのイタリアンブランドのランチアは、11月18日にRally2仕様の競技モデル「ランチア・イプシロン・ラリー2 HFインテグラーレ」をリリース。2026年より、WRC2に参戦することを発表した。
たしかにRally2を使用したWRC2は、Rally1で争われるWRCと違ってトップカテゴリーではないが、それでもイタリアンブランド、しかも、栄華を極めたランチアの復活は、往年のラリーファンにとって胸躍るトピックスとなったに違いない。
事実、ランチアはWRCで黄金期を築いたメーカーで、なかでもグループAにおいては最強と謳われるような存在となっていた。
ランチアがWRCで脚光を浴びるようになったのは、1974年のWRCにグループ4規定の「ランチア・ストラトス」を投入したころで、ランチアは同年のマニュファクチャラー部門でタイトルを獲得。そのあともストラトスは最前線で活躍し、1975年および1976年もマニュファクチャラーズ部門で3連覇を達成した。
その勢いは1982年にグループB規定が採用されてからも健在だった。ランチアは、1983年のWRCに「ランチア・ラリー037」を投入。最大のライバルである4WDモデルの「アウディ・クワトロ」に対してランチア・ラリー037は後輪駆動だったが、ランチアは同年のマニュファクチャーズ部門でタイトルを獲得した。
その後もランチアは1985年の最終戦に「ランチア・デルタS4」を投入し、デビューウインを果たすなど、素晴らしいパフォーマンスを見せていたが、1986年のツール・ド・コルスで、デルタS4を駆るヘンリ・トイボネンが不慮の事故により他界。これをきっかけにWRCはグループBを廃し、1987年からグループA規定で争われるようになったのだが、このグループAの黎明期を支配したのがランチアで、その原動力となったのが、のちに名車と謳われた「ランチア・デルタ」だった。
