
この記事をまとめると
■JMS2025は参加522団体・来場者101万人を記録して大成功を納めた
■日本初の大規模な自動車展示会は1954年に開催された「第1回全日本自動車ショウ」だ
■ショーの存在意義と自動車からモビリティへの見直しによりジャパンモビリティショーが生まれた
1954年から始まった日本のモーターショーの歴史
ジャパンモビリティショー2025(一般公開10月31日〜11月9日)は大成功だった。自動車メーカーや自動車部品メーカーだけではなく、IT・通信・エレクトロニクス関連のスタートアップなど522の企業・団体が参加。来場者数は101万人、SNS総発話量が48万3858件、公式SNS総インプレッション量は約5362万インプレッションに達した。
前回の2023年には、それまでの東京モーターショーをからジャパンモビリティショーへと大きく転換したわけだが、自動車メーカー各社は、「モビリティをどう表現するべきか?」と自問自答しながらさまざまな形で出展した。なかには、ユーザーから「出展内容が抽象的過ぎる」とか「もっと実際にクルマに接する場がほしい」という声もあった。
そうした教訓から、2025年の出展イメージを「10年後の2035年」としたことで、ユーザーにとってわかりやすい近未来のモビリティの姿を体験することができたと思う。
さて、筆者は東京モーターショー時代から続く、オフィシャルガイドツアーのガイド役として参加している。その際、各社ブースの説明に加えて、自動車業界の実情と将来や日本における自動車展示会の歴史についても触れている。その説明の一部をここでご紹介しよう。
日本初の大規模な自動車展示会は、1954年に東京・日比谷公園で開催された「第1回全日本自動車ショウ」だ。「ショー」ではなく「ショウ」と表記されていることに時代を感じる。出展車のほとんどがトラックなどの商用車で乗用車は17台のみだった。
1959年開催の第6回全日本自動車ショー(サブタイトル:東京モーターショー)は開催会場を「晴海(日本貿易センター)」に移転。これまでの屋外展示から屋内展示となったことで、展示内容の幅が広がった。
日本が高度経済成長期へと向かうなか、自動車産業全体が急成長していく。
1964年には東京モーターショーへと改名し、海外からの出展が実現した。1970年代に入り、いわゆるオイルショックの影響で1974年開催が中止となり、その後1975年からは隔年開催となった。
筆者自身は1960年代末から東京モーターショーに一般来場者として訪れ、1980年代前半にはメーカーブースでの業務にあたっていたが、当時の気もちとしては「自動車産業は不滅」という印象だった。それほどまでに東京モーターショー自体が社会に対する影響力が強く、来場者がワクワクする展示が満載だった。
その後、1989年に幕張メッセに移行し来場者は右肩上がり。ところが、1991年の来場者202万人をピークに来場者数は概ね下降傾向となり、いわゆるリーマンショックの影響を受けた2009年が底になった。2011年には東日本大震災の影響で開催が12月まで延期され、会場が東京ビッグサイトとなり、名実ともに東京モーターショーに戻った。
2019年開催では、当初は翌年実施予定だった東京オリンピック・パラリンピックへの対応から会場が分散するという特異なケースで実施するも、多様なコンテンツを導入したことで来場者は増加した。そうした上昇トレンドで期待された2021年だったが、新型コロナウイルスの影響により中止に。
主催者の日本自動車工業会としては、2023年開催に向けて大きな決断を下した。ショーの存在意義における、自動車からモビリティへの抜本的な見直しをおこなったことで、ジャパンモビリティショーが生まれたのだ。
