
この記事をまとめると
■安全規制強化で突起物となるボンネットマスコットを採用するクルマは減少
■空力性能とデザイン変化も非採用を加速させた
■一部の高級車では象徴として継続して採用され続けている
かつてはクルマの「顔」だったボンネットマスコット
クルマのボンネット先端に誇らしげに立つ金属製のオーナメント、いわゆる「ボンネットマスコット」は、かつて高級車の象徴そのものであった。ロールス・ロイスの「スピリット・オブ・エクスタシー(フライングレディ)」、メルセデス・ベンツの「スリーポインテッドスター」、ジャガーの「リーピングキャット(跳躍する猫)」、そしてベントレーの「フライングB」。いずれもブランドの威厳を物理的に体現する存在であり、オーナーがボンネット越しに見るその姿は、運転する喜びの一部でもあった。
ボンネットマスコットの歴史は自動車の黎明期にまでさかのぼる。もともとはラジエーターキャップの装飾として始まったもので、1920年代から1930年代にかけて各メーカーがこぞってデザインを競い合った。当時はクルマそのものが富裕層のステータスシンボルであり、ボンネットの先端に立つマスコットは、「このクルマは特別である」という無言の主張だった。ロールス・ロイスのスピリット・オブ・エクスタシーが正式に採用されたのは1911年であり、100年以上にわたって同社のアイデンティティであり続けている。
しかし、街を走るクルマを見渡せば、こうしたボンネットマスコットを掲げたモデルは明らかに減っている。かつてはメルセデス・ベンツのセダンといえばボンネット上のスリーポインテッドスターが当たり前だったが、現行のCクラスやEクラスでもスポーティなグレードではグリル一体型のエンブレムが主流となり、ボンネット上に立つスターは一部の仕様に限られるようになった。ジャガーに至っては、2024年にブランドの大幅な刷新を発表し、伝統のリーピングキャットのマスコットとは事実上決別した。時代は確実に変わりつつあるのだ。
ボンネットマスコットが減少した最大の理由は、歩行者保護に関する安全基準の厳格化である。もともと1973年に発効された自動車の安全基準である国連の「協定規則第26号(UN R26)」により外部突起物の角を丸くするなどの規制が行われたが、その後「歩行者保護規則(UN R127)」で歩行者がボンネットに衝突した際の衝撃を軽減する基準が取り入れられるなどして段階的に強化されてきた。そのうえでボンネット上の突起物に対して厳しい要件が設けられ、固く突き出たマスコットは、万が一の歩行者との衝突時に重大な傷害を引き起こすリスクがあるため、そのままの形では基準を満たせなくなったのである。
そこで、ロールス・ロイスやベントレーなどのメーカーは、衝撃を受けるとマスコットがボンネット内に格納される機構を開発。ロールス・ロイスのスピリット・オブ・エクスタシーは、一定以上の力が加わるとバネの作用で瞬時にボンネット内へ沈み込む仕組みを備えている。このような技術によって規制をクリアしてはいるものの、構造の複雑化はコスト増にもつながり、採用は上級モデルに限られる。
空力性能の追求も見逃せない要因である。EV(電気自動車)の時代にあって、1kWhでも多くの航続距離を稼ぎ出すために空気抵抗係数(Cd値)の低減は至上命題となっている。メルセデス・ベンツによると、2021年に発表されたEQSのCd値は0.20と量産車としてトップクラスの水準を達成したが、こうした数値を実現するにはボンネット上の突起物は大敵である。たとえ小さなマスコットであっても空気の流れを乱し、高速域での抵抗増加や風切り音の原因となる。EVだけでなくICE(内燃機関)車においても燃費規制が年々厳しくなるなか、空力を犠牲にしてまでマスコットを立てる合理性は薄れてきたのである。
