
この記事をまとめると
■ケータハム21はセブンの思想を受け継いだ実用志向モデル
■軽量高性能ながら競合車の登場で市場競争力を失った
■最終生産49台と極めて希少な存在として歴史に埋もれた
セブンの進化形はなぜ消えた?
ケータハムといえば、誰もが「セブン」を思い浮かべることだろう。しかし1990年代、この英国の小さなメーカーは新たなチャレンジを人知れず敢行していた。それが、セブンの魂を受け継ぎながらもより実用的な2シーターオープンスポーツを目指した「ケータハム21」だ。
1990年代初頭、セブンの販売が好調だったケータハムのオーナー、グラハム・ニアンは、ラインアップの拡充が会社にとってプラスになると判断した。彼はかねてより、空力に優れたロータス11にインスパイアされた2シーターコンバーチブルを作りたいと考えており、ケータハムが自動車メーカーとして歩んだ21周年を記念してこの新型車を「21」と名付けることにした。
開発コストを抑えるため、21はセブンのシャシーをベースとしたため、ホイールベースなどのディメンションは一部同じ。エンジン、トランスミッション、リヤアクスルも共通とした。一方、ハンドリングの向上とフットスペースの確保のためフロントトレッドは3インチ拡幅され、増加した重量に合わせてサスペンションも再調整された。
ただし、シャシーの構造上、サイドシルが高く幅広になるため、ドアは小さくせざるを得ず、乗り降りには相当な身のこなしが求められた。また軽量化のため、窓はロールダウン式ではなく、ネジで固定する方式が採用された。
1994年のバーミンガムモーターショーで磨き上げられたアルミボディとともにデビューした21は、キット形態(クラブマン)で1万8750ポンド(当時のレートで約300万円)というプライスタグがつけられた。前述のとおりエンジンはセブンと同様のローバー製Kシリーズを搭載し、ベースの113馬力から190馬力を発生する上位グレードまで、バリエーションも豊富だった。
パフォーマンスも申しぶんないといっていいものだった。フルカウルボディのためにセブンよりは重くなったものの、600kg〜700kg台に抑えられたその車重によって、ベースグレードでも0-60mph(約97km/h)加速タイムは6.4秒をマークした。
順風満帆に見えた21だったが、その運命には同郷からの刺客によって暗雲が立ち込めることとなった。21のデビューからわずか2年後の1996年、ロータスがより大きな開発予算を投じた初代エリーゼを発売したのだ。同様のコンセプトながらも、より高い実用性と優れたドライビング体験をもっていたエリーゼにより、ケータハム21は一気に競争力を失ってしまった。
さらに、MG F、BMW Z3、ホンダS2000といった個性あふれる手ごろなスポーツカーの相次ぐ登場も逆風となり、21は市場での居場所を失っていった。1999年に最後の1台がラインを離れ、当初年間250台という生産目標を掲げていたにもかかわらず、最終的な生産台数はわずか49台という結末を迎えることになった。
セブンの走りの哲学を受け継ぎながら、より洗練されたスタイルと快適性を追求したケータハム21は、時代のタイミングと強力なライバルに阻まれて歴史の陰に埋もれてしまったのである。
