
この記事をまとめると
■センチュリーの車名はアメリカのビュイックが先に使用した
■高性能セダンとして生まれ徐々に大衆車へと性格を変化していった
■現在は中国で高級ミニバンとして復活している
同じ名でも歩んだ道は別
「センチュリー」という名前を聞けば、日本のクルマ好きがまず思い浮かべるのはトヨタのフラッグシップサルーンだろう。1967年に豊田佐吉の生誕100周年を記念して誕生したトヨタ・センチュリーは、国産最高峰の格式を誇るショーファーカーとして現在も君臨している。しかし「センチュリー」という車名を先に用いたのは、じつはアメリカだった。ビュイックだ。
GMのプレミアムブランド、ビュイックが「センチュリー」の名を初めて使ったのは1936年のこと。トヨタより30年以上も早いわけだ。「世紀」を意味する英語の”century”は、双方にとって格調あるネーミングとして選ばれたわけだが、互いに直接的な関係は一切ない。
初代ビュイック・センチュリーは、当時ビュイックのラインアップでもっともパワフルな5.2リッター直列8気筒エンジンを、コンパクトなビュイック・スペシャルのシャシーに搭載するという手法で誕生した。165馬力というパワーで時速95マイルを出せたこのクルマは、当時最速のビュイックとして「銀行員のホットロッド」という愛称で親しまれたという。1942年まで生産されたのち、第二次世界大戦のブランクを経て1954年に2代目が復活。こちらも軽量なボディに大排気量V8を組み合わせるマッスルカー的な性格を受け継いだ。
1973年、センチュリーは中型セダンのモデル名として再び登場し、その後世代を重ねながら2004年まで生産が続いた。5代目モデルは日本にも正規輸入されたのだが、ここで奇妙な事情が生じた。日本ではトヨタがすでに「センチュリー」の商標を保有していたため、ビュイック・センチュリーは日本市場において上級グレードの名前でもある「リーガル」として販売されなければならなかったのだ。元祖でありながら日本では名前を変えさせられるという、なんとも皮肉な事態が発生したわけだ。
1997年に登場した6代目となる最終世代は、FFレイアウトのミドルサイズセダンとして登場し、カムリやアコードといったモデルと競合するベーシックな立ち位置に落ち着いた。そして2004年、後継のラクロスに道を譲る形で北米での歴史は幕を閉じた。
