
この記事をまとめると
■大量の湧き水や軟弱地盤などさまざまな難題に直面した日本の難工事トンネル
■掘削方法や補強部材の改良など技術と現場の工夫で困難を克服
■地域の交通や生活を支えるトンネルの背景には人々の努力と技術革新がある
日本のトンネル工事はいかに難題を克服した?
難工事といわれるトンネル工事は数々あり、どれが一番難しかったかと順位を付けるのは容易でない。難しさの種類も違うためだ。それでも一般に難工事として名の知られるのは、青函トンネル、黒部トンネル、南アルプストンネル、飛騨トンネル、丹那トンネルなどだ。そうしたトンネル工事は、何が難題であったのか?
飛騨トンネルは、岐阜県の飛騨市と白川村を結ぶ全長10kmほどの東海北陸自動車道のトンネルだ。首都高速の山手トンネル、関越自動車道の関越トンネルに次ぐ、国内3位の長さである。国道の冬場の通行止めを回避し、また山岳地域の移動の困難さを解決する期待が掛けられていた。
トンネルを掘ることになる飛騨の籾糠山は、白川村側の坑口から1kmほど進んだあたりで不良地山帯といって、大量の湧き水や、軟弱な地盤となり掘削工事が難航した。当時の作業者は「何センチでもいいから進もう」との心もちで作業に当たったと振り返る。
湧き水の量は、津軽海峡の海底を通る青函トンネルより多かったとされ、雨具では不十分で、ウエットスーツを着て作業に当たったとさえいわれる。「滝のなかにいるような感じで、体も冷えた」とのことだ。貫通した際は、全行程を歩いてみるほどの感激があったとされる。
次に、長野県の飯田と静岡県の浜松を結ぶ青崩トンネルだ。一般国道474号のトンネルである。当初は1983年に工事しようとしたが、予定の掘削箇所は日本最大の活断層といわれる中央構造線が通る複雑な地層で軟弱でもあり、一旦計画は中止になった。
25年後の2008年、土木工事の技術も進歩し、ふたたび工事を行うことになった。ただし、トンネルから地面まで最大で610mもの深さがあり、また掘削面の崩落や変形などが生じ、保持する鋼の構造物を強度の高い高規格鋼製に変更、コンクリートを通常の2~3倍の強度としたり、さらに通常の約1.6倍の強さのボルトを打ち付けるなど手間を要した。それでも足りない箇所には鋼の構造物を二重にしたという。
続いて音中トンネルは、北海道の国道40号、すなわち北海道縦貫自動車道のトンネルである。中川郡の音威府(おといねっぷ)村と中川町を結ぶ全長は4.6km強におよぶトンネルだ。
地盤が軟弱なだけでなく不均一に硬軟が分布し、最大でトンネルから地表まで420mの深さにおよぶ箇所もあり、応力が集中することで掘削部を保持する構造部材や天井が崩落し、掘削の途中で坑内が塞がる事態にもなった。さまざまな困難に対処しながら掘り進み、10年の歳月を経て貫通に至った。
トンネルが開通する以前は、周辺の地形や北海道ならではの厳しい冬の気候の影響で頻繁に通行止めとなる区間で、地域の生活や経済の負担となっており、音中トンネルの完成はその課題解消に大きな一役を担った。
日本は国土の60%ほどが丘陵または山岳地域で、道路交通の利便性を高めるにはトンネルが不可欠になる。加えて島国でもあるので、橋やトンネルはそれぞれの地域を結ぶ重要な交通社会基盤である。また、東西に長い国土でもあることから縦横に山が連なり、気候の違いや土壌の違いは大きく、トンネル工事は一様ではない。普段何気なく通っているトンネルには、さまざまな苦難と、それを乗り越えさせる技術革新や関係する人々の英知と努力がかかわっている。
