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日本が生むはずだった「幻のスーパーカー」とは!? (1/3ページ)

日本が生むはずだった「幻のスーパーカー」とは!?

童夢零や日産MID4など輝かしくも懐かしい国産スーパーカー

 スーパーカーという響き。言霊全開なのだが、ある一定の年齢以上の方々、いわゆるスーパーカー世代にはさらに特別な想いがあるだろう。スーパーカーブーム、そしてスーパーカー世代というのは1970年代が中心で、フェラーリやランボルギーニ、マセラティ、そしてロータスなどが続々と登場。

童夢公式ホームページより

 日本にもわずかながら存在したことから、ちびっ子たちが狂ったようにスーパーカーショー(スーパーの屋上も多かった)に群がり、さらに路上でも見つければピッカリコニカなどで激写したものだ。ちなみに、そのまま自動車専門カメラマンになった人も多かったりする。

 これほどまでに大きなブームとなれば、当然のように日本でも作ってみようということになる。1970年代の日本車といえば、技術もなんとか成熟してきたかな程度だったうえ、オイルショックの影響もあってスーパーカーを作ることはできなかったのは事実だが、レース技術からの流用によって形になったものがあった。

童夢公式ホームページより

 その代表格が童夢の零だ。伝説のレーシングコンストラクター、林みのる氏が、由良拓也氏など、レース車両開発における当時の先端技術者を集めて作り上げた車両で、発表は1978年のジュネーブショーで行なうなど、世界レベルのスーパーカーを目標としていた。また、国内のスーパーカーショーにも登場して、大きな話題にもなったので覚えている人も多いだろう。

童夢公式ホームページより

 残念なことに、結果としては頓挫。市販化を目指したものの、当時の日本では認可が下りるわけもなく、お蔵入り。その後、アメリカでの発売や日本への逆輸入を目標として、後継車であるP-2を作るが、こちらもお役所の高い壁に阻まれ、結局は失敗に終わってしまう。まことにもって、もったいない。

 ちなみに零、P-2ともに国内で保管・保存されている。ただ、童夢の試みは無駄にはなっていなかったと思う。ダメだったにしても、日本でもメーカーでなくても作ることができるのだ、ということがわかっただけでも大きな収穫だったハズ。

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