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2000年以降に活躍した国産WRCマシン(インプレッサ・SX4・86・ヴィッツ) (2/2ページ)

2000年以降に活躍した国産WRCマシン(インプレッサ・SX4・86・ヴィッツ)

日本勢が苦戦を強いられた2000年代のラリーマシン

 トヨタ自動車と富士重工、そして三菱自動車が開発した国産のラリーカーは、1990年代後半の世界ラリー選手権(WRC)において圧倒的な強さを発揮していた。

 実際、92年にトヨタ・セリカをドライブしたカルロス・サインツがチャンピオンに輝いて以降、99年まですべて日本車をドライブしたドライバーが世界王者となった。

 メイクスタイトルも93年にトヨタが獲得して以来、スバルと三菱がこれを引き継ぎ、復活したトヨタが再度99年にメーカーチャンピオンとなるまで、じつに7年連続で日本メーカーがWRCを席巻することになったのだ。

 ただし2000年以降はプジョー/シトロエンが巻き返して王座をほしいままにし、ドライバーズタイトルも、2001年にリチャード・バーンズ、03年にペター・ソルベルグ、2人のスバル使いがタイトルを奪った以外はフランス勢に牛耳られてしまっている。

 そして何度かレギュレーションが変更され、2014年から現行レギュレーションとなっているが、来たる2017年からは、日本から新たなチャレンジャーが登場することになり話題を呼んでいる。

  

2001 Subaru Impreza Prodrive Works World Rally-car Spec. ’01 World Championship Winner
今世紀最初にWRCのドライバーチャンピオンを生み出したスバル

 日本車がWRCを席巻していた1990年代半ば、トヨタからリーディングメーカーの座を引き継いだのが富士重工業、つまりスバルだった。レガシィでWRCに本格参戦を始め、93年のニュージーランドでレガシィが初優勝を飾ると翌戦からインプレッサに主戦マシンをコンバートしている。

デビュー戦でいきなり、幾つかのステージでトップタイムをたたき出すという鮮烈なデビューを飾ったインプレッサは、94年のアクロポリスで初優勝。95年にダブルタイトルでWRCを初制覇すると96年、97年とシリーズ3連覇を果たしている。

 97年からは車両をWRカーにコンバートし開発に苦労を重ねていたが、01年にはリチャード・バーンズがドライバーズタイトルを獲得している。

 写真はバーンズが01年にドライブしたクルマで、フェスティバルofスピードで撮影。

2008 Suzuki SX4 WRC
スズキのWRCプロジェクトの集大成だったが、短命に終わった悲運のラリーカー

 イグニス(国内名スイフト)のスーパー1600で、JWRC(ジュニア世界ラリー選手権:当時WRCのシリーズ戦の幾つかと併催されていたWRCの下位クラス。1.6リッターNAのFFで戦われ2001年まではスーパー1600と呼ばれていた)に、2002年から参戦を始めたスズキは、次第に力を蓄えてきて04年にはドライバーチャンピオンを獲得。さらにWRC全戦に参戦しながらデータを蓄積し、満を持して07年にはトップカテゴリー、WRCにデビューを果たしている。この年はスポット参戦だったが、翌08年にはフル参戦。マシンはコンパクトSUVのSX4をベースに開発されたSX4 WRCだった。

 ポイント圏内で活躍し、ラリー・ジャパンではパー・ガンナー・アンダーソンがベストリザルトとなる5位入賞を果たしている。経済危機を理由に08年シーズン限りで活動を休止してしまった、悲運のラリーマシンということになる。

 写真は2008年仕様で、ともにスズキ広報部からの提供。

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